2019/06/23

Сказка о царе Салтане / Le Conte du tsar Saltane / サルタン皇帝の物語


ブリュッセルのラ・モネ王立劇場でリムスキー=コルサコフの”皇帝サルタンの物語”。予習に聴いてみたら熊蜂の飛行が流れてきて”このオペラの中の曲なんだ!”と初めて知ったくらい未知の作品だった。あらすじをみて”なるほど、おとぎ話ね”といちおう理解。

チェルニアコフはもちろんそのおとぎ話をそのままおとぎ話には見せない。設定は現代でグヴィドンは自閉症、ミリトリサは息子が唯一心を開く玩具の世界のキャラクターを通じて彼に心を開かせて意思の疎通を図ろうとしている。
プロローグの前にミリトリサのモノローグが入り、この状況を説明する。舞台には幕はなく3mくらいのところにドアが一つついたくすんだ金色の壁があり(モノローグの訳がここに映される)、舞台の縁にグヴィドンのお気に入りの玩具(白鳥姫の人形、リス、シュヴァリエの一団:数えなかったけれども、もしかしたら33体かも。歌詞に”33人の騎士”というのが出てくるので)が並べられている。ほとんどのストーリーはこの前舞台で繰り広げられる。

そしてどうして彼が(すなわちミリトリサと彼女の息子グヴィドンの2人が)今ここにいるのか、ということを説明するが、それがプロローグと第1幕。
皇帝やババリハ、ミリトリサの姉妹など2人以外の登場人物はサインペンで描いたようなタッチの模様とデフォルメされた衣装を着て、動き方やポーズなどもマリオネットのよう。ストーリーは現実と玩具を使ったおとぎ話が並行して語られていく。
このミリトリサの語るおとぎ話の世界の他にもうひとつの世界が示される。その世界は壁の向こうにある定まらない形の白い洞穴のような中にある。グヴィドンの頭のなかにある想像上の世界。つまり3つの世界がほぼ同時に語られていくという進行。くすんだ金色の壁が上に上がると紗幕があって”こちらの世界”と分けられている。この紗幕と白い洞窟の壁に映像が投影される。そしてグヴィドンが混乱して気持ちの整理がつかなくなると周りからサインペンで細かく左右にグシャグシャと描いたモチーフがザワザワと湧くように押し寄せて視界を遮ってしまう。

樽に入れられて海に流されるところからブイアン島に流れ着き、悪魔が姿を変えた猛禽から白鳥(姫)を助けて悪魔の魔法を解き立派な都市のプリンスになるまでの物語や、グヴィドンが両親との幸せな生活を夢想するシーンなどは鉛筆のクロッキーをアニメーションにしたものが投影される。このクロッキーはチェルニアコフ自身が描いていると知って驚いた。歌えて演じられてパーティションも熟知している上になんと絵心まであるとは!チェルニアコフは玩具の世界を通じて息子と意思疎通するというアイディアを、実話を基にしたLife, animatedという映画から得たと上演前の解説で説明されていた。だからああいうデッサン風アニメーション入れたのかもしれない。同時に観客に幼い頃に観たアニメーション映画などを思い起こして子供に返った気持ちになれる効果もあるし。

グヴィドンが想像する世界はほとんどモノトーンで(熊蜂の姿で行った王宮は母親の説明の時はカラフルだった衣装からほとんどの色を取り去ったものになっていて前舞台ではなく後ろの白い洞窟の中で演じられる。この洞窟内で起こることは彼の想像であることを示すために、他の登場人物の歌詞をグヴィドンが時々リップシンク。

第4幕で父親のサルタン王との再会シーンは現代のことで登場人物は全て普通の服を着ている。父親は再会の助けになるかとババリハや姉妹、友人(コーラス)を引き連れてくる。父親以外は協力する態度を見せるも懐疑的な様子。母親(と白鳥姫、現実の世界ではセラピスト?のように描かれている)の努力は実らず、心を開くかと思われたグヴィドンは現実の喧騒に耐えられない…人々が歌い騒ぐ中でグヴィドンは倒れ、ミリトリサの無言の叫びで照明が消えてオペラが終わる。リヴレのハッピーエンドとは全く違った現実的な終わり方。


自閉症のグヴィドン役のボグダン・ヴォルコフの素晴らしいこと!グヴィドンは第2幕から歌い出すのでそれまでは黙役で舞台にいるが、あまりにも演技が巧いので最初はプロの役者かなと思った…それが歌い始めると明るく輝くよく通る声、力強くかつしなやかな歌い回しに驚かされた!第2幕の最後で都市が出現しそのプリンスになって喜び跳ね回るグヴィドン、それまでの苦労が一気に報われた万感の思いで息子を見つめるミリトリサ…ここで舞台から湧き上がって押し寄せてくるエモーションに涙。いやほんとにヴォルコフが素晴らしくて感無量…(どこかで見たことあるような気がする…と思ったらベルリンの修道院での婚約でケニー姿で奥に座っていたテノールだったわ)

リムスキーコルサコフが3年間の船旅の間に見聞きしたものを散りばめたと解説のあったパーティション、まるで飛び出す絵本のよう。聴き手に子供の頃の気持ちを思い起こさせる。ここに演出の玩具風なところやアニメ使いの意向が重なって効果がある。アルティノグリュのダンス感ある指揮にオケがよく反応。かなり難しそうなパーティションを崩壊させずに美しく聴かせてくれた。コーラスを舞台横と上階のロジュに配してホール全体を歌声で満たすのもよかった。
そういえば解説でこの時代はワーグナーの後で音楽的に影響が感じられるし、グヴィドンにはジークフリート的でもある、という説明があった。確かにリングをどこかで聴く機会があったんじゃないかと思うメロディーやオーケストレーションがあるし、第4幕1場で他の人々は結婚するのに僕は独りぼっちとか、美しいプリンセスがいると”聞いて”彼女に会いたいと思ったりするところなどはジークフリートそのものだなと思った。


音楽の飛び出す絵本感、登場人物の衣装や動きとアニメーションによる舞台のおとぎ話感、と自閉症の息子とたった2人で暮らすという重い現実のコントラストがあまりにも激しくて厳しい。知らない音楽だったこともあって、完全にこの演出の方に心を奪われてしまった。ロシアものを扱うチェルニアコフの手腕の冴えは本当に見事で感嘆させられる。


Direction musicale  Alain Altinoglu
Mise en scène & décors  Dmitri Tcherniakov
Costumes  Elena Zaytseva
Direction artistique de la vidéo & éclairages  Gleb Filshtinsky
Chef des choeurs  Martino Faggiani

Tsar Saltan  Ante Jerkunica
Tsaritsa Militrisa  Svetlana Aksenova
Tkatchikha  Stine Marie Fischer
Povarikha  Bernarda Bobro
Tsarevitch Gvidon  Bogdan Volkov
Tsarevna Swan-Bird / Lyebyed  Olga Kulchynska
Old man  Vasily Gorshkov
Skomorokh / Shipman  Alexander Vassiliev
Messenger / Shipman  Nicky Spence
Shipman  Alexander Kravets

Parterre A 9&11