2012/09/22

Les Contes d'Hoffmann / ホフマン物語 ②(2012年9月22日@Opéra Bastille)


今日の一番はアントニアのAna Maria Martinez。情感あふれる歌唱でバスティーユの巨大なホールを満たしていた。このまま歌い続ければ命をおとすと頭では解っていても心がそれを止めることを許さないという破滅的なジレンマの中で、彼女の澄んだ声がある種の狂気を含んで熱を帯びていくのが肌で感じられるかのようだ。第2幕のシーンはプログラムの表紙にもなっている幻想的なものである。舞台が上下に分けられていて下手前がオーケストラピット(ここには指揮台と椅子がセットされていて後に楽団員役の人々が着席する)、上部が舞台となっていて最初は緞帳が下りている。アントニアの亡き母の声が聞こえてくると緞帳が開き(ここがアントニアにとってのPoint of no return)、そこに母の幻影と思われるペルソナージュが立ち、娘のアントニアに呼びかけるように歌う。まるでスペクタクルが始まり、進行しているかのように思わせる。母の幻影の歌うこの舞台は衣裳とライトとスモークの使い方であくまでも幻想的に、つまりこの世のものではない感を充分に漂わせることに巧みに成功している。

先述の第2幕の現世とあの世の境目を行き来するようなセノグラフィは目眩がするほど美しく、リアリティのある演出と渦巻くメロディの三重唱の相乗効果でグワーンと観客席に迫ってくる感じ。息がとまりそうになった。これ以上続いたら心臓が止まる!というギリギリの所で第2幕が終了してアントラクトの20分間で呼吸と心臓の鼓動を整えてから第3幕へ。このセノグラフィがまた「(英国人観客が感嘆するところの)ジーザス…!」で、ボーッとしていると35分くらいしかない第3幕はあっという間に終わってしまう。

それにしてもホフマンを演じるセッコはほぼ最初から最後までオンステージなので大変だ。でも彼は大酒飲みでヨレヨレで頼りなく、気弱だったり意地っぱりだったりしながらもミューズを惹きつける煌めきをかいま見せるホフマンである。もう少しアクの強いところを見せても良いなぁと感じるけれど。とにかく4悪人役のフランク・フェラーリのディアボリックな存在感が圧倒的なので、ホフマンのヘロヘロな部分が浮き上がり、ともすると主役なのに影が薄くなってしまうのだ。
"On est grand par l'amour et plus grand par les pleurs!"っていう最後の歌詞が妙にとって付けたようで陳腐で興醒めなのだが。これで最後に陶酔から覚醒させられるというか何と言うか…それが狙い?しかし終演と同時にまたもう一度観たくなるオペラである。

PARTERRE 21 1-2

2012/09/16

Les Contes d'Hoffmann / ホフマン物語 ①(2012年9月16日@Opéra Bastille)



今まで観た中で最高のセノグラフィと演出かもしれない。2000年のプロダクションだが変に古びてしまったたところがなく、今も燦然と輝く舞台である。本当に素晴らしかった。この演出はユネスコの無形文化遺産にするべきだろう(言い過ぎか…)。

タイトルロール、ホフマン役のステファノ・セッコは前奏が始まる15分以上前から舞台上に横になって飲みつつ執筆中。舞台上にいくつかオブジェを置き緞帳を開けたままにしておくのは、現在ガルニエで上演中のカプリッチオと同じイメージのもの。そしてホフマンは詩人で音楽家という設定なので、これもまたカプリッチオに通じるものがある。これはONPのプログラム構成の妙だと思う。(プログラム構成の妙と言えば、バレエの”Le Fils Prodigue/放蕩息子”にオペラの”The Rake's Progress/放蕩者のなりゆき”が続いていたのもそうだろう。)


舞台は進んでホフマンの現在の恋人ステラの出演するドン・ジョヴァンニが繰り広げられるシーンだが、当のホフマンは未だに酒瓶を友に執筆中(写真上)。このシーンはごく短く、このドン・ジョヴァンニの舞台シーンはまるごと舞台下手から現れ、舞台上手に去っていくというその大掛かりなセットに驚く。そしてルーテルの酒場に変わるが(写真下)、このバーは床下からギューンと出てくる。この舞台転換がほんとうに素晴らしい!ホフマンはこのバーの上でクラインザックの歌を歌う。


少し見づらいけれど、劇場の左右に開く緞帳の裏側(舞台側)はこうなっている(写真上)。これは第3幕が始まるときの緞帳で、これが左右に開くと舞台にはこちら側をむいたガルニエのバルコンのような客席というセットになっている。並んだ椅子の列が左右に波のように動き、その椅子に座ったジュリエッタとニクラウスがバルカロールを歌うという夢のようなシーンだ(写真下)。
すぐ後ろに座っていた英国人、開演直後から囁くような"Gorgeous!"を連発していたが、3幕目が始まると"Jesus…!!!"と絶句していた。いや、本当にこのシーンはゴージャスですよ。ため息モノです。

歌唱で印象に残ったのはオランピアのジェイン・アーチーボルド(写真上)。もう歌も演技も狂ったオートマット感たっぷり!かなり際どく迫る演出はあのオートマットだから面白い。クリアな声もコロラチューラも全くストレスがないし、複雑なバリエーションも軽々と歌いまわしている。来年のクレオパトラをどのように歌うか、一層楽しみになった。
一方ニクラウス/ミューズのケイト・アルドリッチは調子がいまひとつだったのか、声量がなくて(バスティーユのホールが大きすぎるせいもある)あれ?という感じだった。
演技で印象に残ったのは4役を演じたフランク・フェラーリ。無機質でビジネスライクなディアブルをそのまま体現していた。フランス人なので他の歌い手に比べて格段に言葉が聞き取りやすかったし、言葉に気を取られずに演技できたためかもしれない。
セッコは最後までほとんど休む暇もなく舞台に出ずっぱり。声をセーブしたり全開にしたり、コントロールが大変だろうと思う。フランス語のディクションがよければもっと説得力があるのに、少し残念。

しかし今日はなんと言ってもロバート・カーセンの演出、ミカエル・レヴァインのセット&衣裳、ジャン・カルマンのライトに感動させられたのだった。歌唱や音楽が二の次になってしまうのはオペラとしてどうなの、という気もしないではないが、一観客として私はそれでもいいと思っている。

オッフェンバックは多くのオペレッタで大人気になったけれど、批判も多かったようだし、晩年は落ち目でホフマン物語に起死回生を賭けてたのに完成できないで亡くなってしまうしと、なんだか気の毒な人だったような感じも。そして未完のホフマン物語が彼が作曲した唯一のオペラ。おまけに写真では年とって見えるが亡くなった時はまだ61歳だったとは、苦労が偲ばれる。今のこの人気を見て天国でほくそ笑んでいるだろうか…。

Tomas Netopil
Direction musicale
Robert Carsen
Mise en scène
Michael Levine
Décors et costumes
Jean Kalman
Lumières
Philippe Giraudeau
Mouvements chorégraphiques
Patrick Marie Aubert
Chef du Choeur
Jane Archibald : Olympia
Sophie Koch : Giulietta
Ana Maria Martinez : Antonia
Kate Aldrich : La Muse, Nicklausse
Qiu Lin Zhang : Une voix
Stefano Secco : Hoffmann
Fabrice Dalis : Spalanzani
Cyrille Dubois : Nathanaël
Jean-Philippe Lafont : Luther, Crespel
Eric Huchet : Andrès, Cochenille, Pitichinaccio, Frantz
Franck Ferrari : Lindorf, Coppélius, Dapertutto, Miracle
Damien Pass : Hermann
Michal Partyka : Schlemil

Orchestre et choeur de l'Opéra national de Paris
Parterre 9 9-11