2012/12/29

Carmen ④(2012年12月29日 @Opéra Bastille)


新しいプロダクションが熟成するには時間がかかるのだと実感。材料が少ないアイスクリームのアパレイユだって24時間以上寝かせてから回した方が風味がなじんで美味しくなるのだから、膨大なエレメントで成り立っているオペラの場合それは当然かもしれない(⬅あくまでもイメージでアイスクリームとオペラの関連性はゼロです)。
やっぱり観客は大きな声の歌い手と響きのきれいな歌い手が好き。今回のプロダクションで言えばテジエとキューマイヤーが大きな拍手を受けるし、彼らは充分その拍手を受けるに足るパフォーマンスを披露している。一方シューコフはこれほどいい役者で、感情を表す声のドライブ感もすごくツボを押さえているのに、重量級のテノールではないためかそれほど拍手がこないのがなんとも残念。私は芝居好きなので、いくら声の良いソリストでも役者としての巧さが感じられないとそれほど心が動かないのである。


ソリストが同じ所に立ちっぱなしあるいは座りっぱなしで動かずに歌うシーンが多くて、彼らの動きだけを見たら退屈な演出ではあるが、あれほど悪評が高い理由がわからない。イコノクラストが過ぎるのか、アントナッチの声のボリュームのなさとRGから最初の何公演かでシューコフの調子が悪かったのも一因か。第一幕の途中でブツブツと文句ばかり言っていたヒトが周りの観客に「気に入らないなら出て行け」と追い出されていた。プロダクションを気に入らないのは彼の自由だが、他人に迷惑をかける権利はない。口を閉じて心中静かに嫌悪の炎を燃やせないならなら出て行くべきだ。
今日は最終日だからか、みんな自分の持っているものを全部出して感情のあふれるままに歌っている様子。特にコーラスは今までに増して迫力があり圧倒された。
あとはやっぱりジョルダンの指揮とオーケストラ。リズムとテンポのコントロール、クリアな色彩感とその陰影の豊かさ、ソリストやコーラスとのマッチングといい、これほどのカルメンを聴いたことがなかった。ジョルダン曰く「ビゼーはフランスのモーツァルトだと思っている。カルメンの第4幕の最後の方はヴァグナー風だし、オッフェンバック的なところも所々にある。」異なった多くのエレメントをまとめてここまで昇華できるなんて、感嘆するしかない。


☆デエはONP(オペラ部)のパケットと言えよう。26日にピッゾラートが体調不良でチェネレントラを歌っている(歌のみ、舞台上の演技はピッゾラート)。そんなコトが可能なんだ…。だって25日カルメン、26日チェネレントラ、27日にまたカルメンを歌ったことになる。

☆今日は颯爽としたジョルダンの指揮があまり見えない位置だったのでちょっと残念。でもジョルダンのジレが「クリスマスプレゼントの包装紙が余ったのでジレにしてみましたー」風でちょっと幻滅だった。スイス人だから仕方ないか…(すごい偏見)。

PARTERRE 8 25-27

2012/12/25

Carmen ③(2012年12月25日 @Opéra Bastille)


舞台転換なしのセット、ほぼ全景。光の色と強さ、角度で様々に表情が変わる。このセット&セノグラフィが威力を発揮するのはパーテールの中央部。バルコンになるとその限りではないのが残念。
ソリストが歌う時にほとんど動きがないので退屈なシーンもあるが、回を重ねる毎に新しい発見があって、なんとこの悪評高き演出に愛着を感じるようになってきた!しかしすぐに再演されるかと言ったら微妙なところだろう...

この演出のカルメンは最初は威勢が良く口では「自由」と歌いつつも、話が進むにつれてドン・ジョゼに翻弄されてしまう弱い面に光を当てているのかもしれない。そういう意味でドン・ジョゼの性格描写の方が力強くされているように見える。や、とすると、この演出のタイトルはカルメンじゃなくて、ドン・ジョゼにした方がいいかも(笑)。しかしデエのカルメンに感情移入するのは至難の業だ。人の良さそうな笑顔と眉間にシワをよせた困った顔と間の抜けたような鳩に豆鉄砲顔でファムファタルとは困ったハナシだ。前述のようにカルメンが炎のような強気の女として描かれていないので、それも影響しているだろう。
好きなシーンは第2幕のシャンソン・ボエームの最後にみんなでトレーラーの上で70年代のディスコ風(!)のダンスをするところ。これがビゼーの音楽と驚くほどマッチするのが不思議で面白い。
それから第4幕の最初からドン・ジョゼが左上のテラスにいて一部始終を見届けているところ。こんな表情の人が横にいたらワタシはソッと逃げるな、みたいな顔でカルメンを見つめてて怖い。でも観客の何%が彼がここにいるに気づいているだろうか(ジャルダン側の席からは見づらいし、番号が上がっていくと見えなくなる位置。上の写真の位置が彼を見られるギリギリの場所)。いちばんの見どころはやっぱり最後のウェディングドレスを引っぱり出してくるところから。ドン・ジョゼのサイコパスぶりは何回観ても背筋がゾッとする…!
今日はあの最後のシーンで床が下がっていかなかった。あれは演出家の意図か、ただ単にモーターが故障しただけか?!ない方がセノグラフィが美しいし、不要な疑問もわかなくていい。
オーケストラの音が前回までに比べて熱っぽく(特に第四幕のオープニング)感じられたが、ソリスト達はなんとなくお疲れモードのような声に聞こえた。もしかしたら今日はお疲れモードじゃなくて、明後日&土曜日があるからセーブモードだったのかもしれない。しかし…第三幕のミカエラがアリアを歌い終わった途端に拍手がおこって、ビックリ顔のジョルダンが客席を振りむくという残念なエピソード付き。いつも思うんだけど、どうしてオーケストラの演奏が終わらないうちに拍手するんだろう?
隣の席には人が来なかった(牡蠣にでもあたったのだったら気の毒なことだ)のでコート置きにしてしまった。入り口で余ったチケットを買いたい人々もいたのに、まったく人生というのは不公平にできている。



PARTERRE 16 27-29


2012/12/22

Carmen ②(2012年12月22日 @Opéra Bastille)


今日のカルメン、よかった、ほんとうに!
第1幕を観終わった時に、前回のカルメンと比べてかなり演目としてしっかりしてきていると感じたが、最後まで観たら演目としてしっかりしてきたどころではなく、まるで別物のように感じた。

前回と違うのはまずタイトルロール。デエのカルメンはアントナッチと比べて格段にあばずれ女感に欠けるが、彼女の武器はホールを満たせる声だ。が、カルメンという役に合った声質ではないかも、と感じるところがある。それは初役のカルメンを自分の持っているものの中で模索している発展過程にあるからかもしれない。
そして前回はパズルの欠けたピースのようだったシューコフがしっかり復調してオペラの形を整ったものにしている。陰影をよく表す声で緩急のコントロールも良く、優柔不断なのに熱しやすいピリピリとしたドン・ジョゼに合っていると思う。特に第3幕、第4幕、前回おっかなびっくり歌っていた彼とは全くの別人、ドン・ジョゼに変身していた。また今日みたいなパフォーマンスを見せてくれるなら、もう一度観たい。彼はこういうécorché vifな役がピッタリ。この演出にカウフマンは合わないと思う(フランス語のディクション良くないし…)。

やっぱりテジエはエスカミリオのような威風堂々な一本気な役より、ニュアンスのある性格の役の方が個性に合っていると感じる。フィガロの結婚のアルマヴィーヴァ伯爵なんてピッタリだし。

ミカエラ役のキューマイヤーは声が美しいし音も外さないしとても上手だが、彼女の歌唱はなぜか心に迫ってこない。歌詞の意味を解って歌ってるのかしら?と疑問に感じるほど(初役ではないのでそんなことはないだろうが)。演技もいかにもという感じで上手いとは言えない(これは演出が半端なのかな、と思うところもあり)。

デエはもっとちゃんとダンスのレッスンしないと(笑)。あんな変なダンスじゃ(っていうかあれじゃダンスって言えないから)誘惑されるどころか100年の恋も冷める…。そういえば少し演出の手直しがあって、前回のカルメンはテラスを支える鉄柱に片手を手錠でつながれていたが、今日のカルメンは両手を手錠でつながれていただけだった。できればアントナッチのカルメンを今日の位置で観たかったな。

最後にあの舞台の中央が四角く切れて下に降りて行く部分、あれかなり深く下がって行くんだけど、パーテールの前の方じゃたいしてよく見えない。何か出てくるんじゃないかと首をのばしてる人が大勢いたが、当然だろう。あれはやっぱり”奈落の底説”でいいんだろうか…?
このプロダクションのために用意された衣裳の数は500。そのうちアトリエで新しく製作されたものが80。この時代(70年代)の素材が既に入手できないので、集めた古着が420。靴の数は約300足。役によって1人当たり2〜3足。ちょっと信じ難いことだが、衣裳担当はあのH&Aと同じ人だ。両極端なこの2つの演出にしっかりと信頼性を与える彼の才能のパレットの広さには驚くしかない。
前回プルミエバルコンからは見えなかった舞台右側の白いシートからの明るさがセノグラフィを前回とずいぶん違ったクリアな印象にしている。上から見ると雑多な色が混在して美しさに欠けた舞台だったが、今日の場所からだとその雑多な色が重なってシーンに厚みを与えていることに気がついた。しかしオーケストラとコーラスの音はバルコンで聴いた時の方が良かった…視覚的にはパーテール、音楽的にはバルコン、難しいチョイスに迫られる。
言うまでもなくジョルダンの指揮、コーラスの一体感、ほんとうにいい舞台を見せてもらった。あまりにも気分がよかったので、メトロを降りてからタンタカタカタカ、タンタカタカタカ、タンタカタカタカターン!って歌いながら帰ってきた。気分よかったー!


PARTERRE 10 5-7


2012/12/16

La Cenerentola / ラ・チェネレントラ(2012年12月16日 @Palais Garnier)


まぁなんとも感動も逆上もない、平凡なパフォーマンスだったこと…。しいて言えば最後の5分間のみ輝いて終わった花火のパフォーマンス、という感じである。
ラミロ役のミロノフの声はオーケストラの音の向こう側に停まったままで正面のロジュまで届いてこない。これではどんなに彼が超絶技巧をこらした歌唱をしていても、意味がない。オーケストラが大音響でドンチャカやっていたワケではないので、この日は彼の調子が悪かったのか、あるいは届かない声質なのか。いずれにせよとても残念である。それから彼は始終お腹が痛いのを我慢しているような表情をどうにかするべき。
チェネレントラ役のピッゾラートが予想を上回った恰幅の良さで、感情移入するのが難しい。とても元気そうで気の毒な様子には全く見えないし、王子が一目惚れして結婚したくなるような娘のイメージとはかけ離れて(過ぎて)いるのがツラいところ。
アリドーロはどういうわけかよそよそしさが漂いっぱなしで他のソリストとまったく馴染まないし、ダンディーニは芝居がうまいが歌唱がついていかない。
よかったのは予想どおりデ・シモーネのマニフィコ。役を知り尽くしている様子で自在に歌い、演じていた。少し慣れ過ぎかな、と思われる部分もなかったではないが…。
クロリンダとティスベの姉妹、演技をしやすい役で観ていて楽しいが、2人とも歌唱が1本調子になりがちなのはこの役柄からして仕方ないかもしれない。でもクロリンダ役の声がよく届くきれいなものだった。
結局最初から最後まで光っていたのがポネルのセノグラフィと演出。セットはシンプルな書き割りで、最近の巨大セットで驚かせることを狙ったグロテスクさとはかけ離れたもの。衣裳はいかんせん古くさくて、ここは一新したくなるところではある…。
指揮者の意図かロッシーニ独特の軽妙さやリズム感のない面白みに欠ける演奏になっていて、言い方は悪いが妙にきどった演奏だったような気がする。
指揮者もキャストも全部変わる来年の公演が楽しみ(ラミロがシラグーザだし!)。

Riccardo Frizza
Direction musicale
Jean-Pierre Ponnelle
Mise en scène, décors et costumes
Grischa Asagaroff
Réalisation
Michael Bauer
Lumières
Alessandro Di Stefano
Chef de choeur

Maxim Mironov : Don Ramiro
Nicola Alaimo : Dandini
Bruno De Simone : Don Magnifico
Claudia Galli : Clorinda
Anna Wall : Tisbe
Marianna Pizzolato : Angelina
Adrian Sâmpetrean  : Alidoro
☆嵐のシーンでシーズーが出てきて可愛かった!

Orchestre et choeur de l'Opéra national de Paris



1ère loge de face 32 1-2

2012/12/07

Carmen ①(2012年12月7日 @Opéra Bastille)

製作中のカルメンのセット

あぁ、今夜のカルメンのチケット買ってしまった…。アボヌマンで取っておいた日はデエのカルメンの日だったので、ROHやオペラ・コミックであのカルメンを歌い演じたアントナッチを観たかったのだ。午前中にサイトを覗いたら戻りチケットがあり、それほど悪い席ではなかったので「これはもうお告げだな」と行くことにした。
プルミエ直後から、いやRG時からすでに厳しい批評の突風にさらされているこのプロダクション。初演のオペラ・コミック版のように台詞でストーリが進んでいく( レシタティフではない)。リヴレによると時代は1820年代、場所はセビリアということになっているところを、時代は登場人物の服装から見るにフランコ独裁終演後の1970年代後半La Movidaの頃、場所はセビリアを感じさせるものはない。そして何よりも「!!!」なのは当のカルメンがマリリン・モンローのようなブロンドなのである。あとはストーリーと関係のないストリッパーやトラヴェスティが出てくるのも邪魔と感じる人もいただろう。

開幕直前、カーテン前に人が出てきて「シューコフ氏はここ何日か調子が良くないのですが、今夜は歌う事を了解してくれました」とアナウンス。プルミエの日にひどい歌唱でブーイングを浴びたらしいが、そのまま復調していないのだろう。そうしたらもうその通り、おっかなびっくり歌ってるわけで6割くらいのパフォーマンスだったんじゃないだろうか。とにかく高音を絞りに絞って、きつそうで、聴いているこっちがハラハラする。後半時々「あ、ここ今ちょっと本気だしたんじゃない?」風な音がいくつかあった程度で、お世辞にも満足できたとは言えない。
そこでエスカミリオのテジエが「ここは自分が頑張らねば!」と意気に感じたかどうか分からないが、持ち前の大声で歌う…。いや、パフォーマンスとしては悪くないけれど、彼の個性にあった役ではないなぁと感じた。
あとズニガのリスも、あなたマイクつけてませんか?ってくらいのよく通る大きな声だった(笑)。ただ彼の声はH&Aの時も感じたけれど、直径の太いパイプのように空洞に聞こえる時がある。もっと密度のある声を聞かせてほしいと思う。ニュアンスがなくて飽きのくる歌唱なのも気になる。
アントナッチはさすがカルメンを当たり役としているだけあって、声の色と深み、場面ごとの表情のつけ具合にも説得力がある。もしかしたら今までとは全く違ったカルメンを演じて彼女個人としては楽しかったかもしれない。しかし、残念な事にいかんせん声にボリュームがない…。ガルニエくらいの大きさじゃないと届かない声だ。連隊の娘のドゥセは声が小さくても「届く声」なので、そこが大きくちがう。
ミカエラ役のキューマイヤーの声が清純な役にピッタリの透明感あふれるもので、これがオーケストラの音色にマッチして効果を上げていたと思う。役者としてはいまひとつ、いやふたつくらいかなぁ…。まず台詞のフランス語のディクションに大きな疑問符がつくし、おさげのカツラにベレー帽、青い衣裳も似合わなくて気の毒になる。それに加えてオペラグラスで見ると、どうもドン・ジョゼの恋人というよりも「あら、お母さん、自分で手紙持って来ちゃったのかしら?」と冗談のひとつも言わねば済まないような感じで、なかなか感情移入できないのだ。


場面として強く印象に残ったのが、最後のシーン。舞い戻ったジョゼがカバンに詰め込んで持ってきたもの、それは何と「薄汚れたレースのウェディングドレス」というのが怖い!ダイレクトに結婚してくれとは言わないが、カルメンに無理に袖を通させ、しつこく復縁を迫るこのシーンのジョゼがサイコパス的で恐ろしさ満点!
そして最終的に普通はカルメンを短刀で刺し殺すわけだが、その曰くありげなウェディングドレスで絞殺するってのも怖かった…。またシューコフがこういう粘着質なサイコパス役がピッタリなんですな、これが。しかしこの場面はこんな狂気のシーンが繰り広げられている時のライトの使い方が際立って美しかったので明記。
2人の立っているすぐ後ろの舞台の床が巨大な台形に切れて床下に下がって行き、真っ暗な空間が現れるが、ここへの人や物の出入りは一切ない。単なる穴があくのである。日本人の私が見ると奈落の底に落ちていく2人のイメージに重なるが、それを演出家が意図していたかどうかは判らない。


そして何が素晴らしかったかと言うと、ジョルダンの指揮&オーケストラ。
颯爽とメリハリのある、透明感のある色彩に満ちた、流麗なビゼーの音楽に仕上がっていた。清冽な水が流れるようなイメージなので、暑く乾燥してホコリっぽいスペイン的カルメンをご希望の方々の好みではあるまい。コーラスとの音量のバランスももちろんよく、またソリストの声を消すことなく音楽にのせてくるところなどは巧いなぁ、と。
その一方でセノグラフィが美しくないのが大変惜しまれる。舞台転換のないセットのアイディアと倉庫のような建物のフォームとストラクチャーはいいのに、全体として見た時の色が汚い…。まず舞台に人が多く兵士以外はそれぞれ雑多な服を着ているので、ゴチャゴチャとしてまったく統一感がないのだ。いくらバスティーユの舞台が広いからといって、あんなに人を並べなくてももいいのに。特に第3幕の最初、闇売の場面。


演出のボーネンはアルモドヴァールの映画からインスピレーションを得たとのことだが、映画という二次元の世界で美しいもの、それも画面で意図的に切り取って見せることができるものを、舞台という三次元の世界で見ても同じように美しくみえるとは限らないだろう。
この二次元と三次元の見た目の美しさの違いに思い至ったのは、舞台全体を観ているとそれほど美しくないのに、オペラグラスを通して切り取った図絵で観てみると、ハッとするほどよい絵になることに気づいたからである。
そのため美しい音楽との乖離が大きく、作品としての一体感が感じられなくて惜しい。舞台で演じられている演劇としての雰囲気とピットで演奏されている音楽が作り上げる世界が別物のように感じられるのだ。それを対称的なものが補完し合うという意味で評価する人もいるだろうと思う。
でも個人的にはそれは好みではなくて、舞台と音楽が絡んだり解れたりしつつ融合し、それが相乗効果を生んで1つの作品がグワーンと膨らみを増すというのが理想だが、理想はあくまでも理想である。
そういう意味では昨日のカルメンを観ていて「あれ、これカルメン?あれ?」というような落ち着けない気分で作品にのめりこんでいけなかった、というのはある。(まぁ隣に座ったincivilité incarnéeみたいなスペイン人父娘のせいもあったが…。)

次回はアントナッチじゃなくてデエだけが、回が進んで作品としてもっとこなれたものになっていることを願う。いやそれよりもなによりも、シューコフがきちんと歌えるような状態に戻っていてくれないと困ります!

Philippe Jordan
Direction musicale
Yves Beaunesne
Mise en scène
Damien Caille-Perret
Décors
Jean-Daniel Vuillermoz
Costumes
Joël Hourbeigt
Lumières
Jean Gaudin
Chorégraphie
Marion Bernède
Dramaturgie
Patrick Marie Aubert
Chef du Choeur

Nikolai Schukoff : Don José
Ludovic Tézier : Escamillo
Edwin Crossley-Mercer : Le Dancaïre
François Piolino : Le Remendado
François Lis : Zuniga
Alexandre Duhamel : Morales
Anna Caterina Antonacci (4 au 16 déc.) / Karine Deshayes (20 au 29 déc.) : Carmen
Genia Kühmeier : Micaela
Olivia Doray : Frasquita
Louise Callinan : Mercedes
Philippe Faure : Lillas Pastia
Frédéric Cuif : Un Guide

Orchestre et choeur de l'Opéra national de Paris
Maîtrise des Hauts-de-Seine / Choeur d’Enfants de l’Opéra national de Paris


1ER BALCON 4-18

*今年のオランジュのラ・ボエームでマルチェッロを演じた時には気づかなかったが、テジエがトド化していた。プレスリー風のコスチュームを着ているのでまるでKing!だから素晴らしいマタドールの衣裳が似合わないこと甚だしく、残念。
*カルメンの登場シーン、ドン・ジョゼは後ろの方で上着のボタン付けをしていて微笑ましい(笑)。

2012/11/28

Récital Luca Pisaroni (2012年11月28日 @Amphythéâtre)

Franz Schubert
Mélodies sur des poèmes de Pietro Metastasio (D 902)
Il modo di prender moglie
L’incanto degli occhi
Il traditore deluso

Gioacchino Rossini
La promessa (Pietro Metastasio)
Il rimprovero (Pietro Metastasio)
L’esule (Giuseppe Torre)
L’ultimo ricordo (Giovanni Antonio Luigi Redaelli)
L’orgia (Carlo Pepoli)

Giacomo Meyerbeer
Sie und ich (Friedrich Rückert)
Die Rosenblätter (Wilhelm Müller)
Die Rose, die Lilie, die Taube (Heinrich Heine)
Hor’ich das Liedchen kingen (Heinrich Heine)
Lied des venezianischen Gondoliers (Michael Beer)
Menschenfeindlich (Michael Beer)

Franz Liszt
Im Rhein im schönen Strome, S. 272 (Heinrich Heine)
Vergiftet sind meine lieder
,  S. 289 no. 3 (Heinrich Heine)
Es rauschen die Winde
, S. 294 (Ludwig Rellstab)
O Lieb’
, S. 298 (Ferdinand Freiligrath)
Die Vätergruft
, S. 281 (Johann Ludwig Uhland)
Tre Sonetti di Petrarca, S. 270a
Pace non trovo
Benedetto sia’l giorno
I’ vidi in terra


Luca Pisaroni Baryton
Justus Zeyen Piano


(うーむ、今日は朝から調子がよくないが20時からバスティーユのアンフィでピサローニのリサイタル。)



いや、ピサローニ、いいですワ!衣裳もセットも演出もないのに、声だけであれだけさまざまな感情を表現できるんだから。
ただ途中までいい意味の尊大さや近寄り難い悲壮感などが感じられないので(ステファンと比べて)、そういうキャラクターの歌い手なのかと思っていたら、3つのペトラルカのソネットは、壮大な風景画のような歌を聴かせてくれた。
若いからといって無茶なスケジュールを組まず、無謀にレパートリーを広げず、大事に声を熟成させていってほしい。いい意味での暗さが出てくるとさらにいい歌い手になるはず。
対訳歌詞入りのパンフレットがついて25€だなんて、信じられん。座席指定無しなのでオペラやバレエと同じ感覚で言ったら真横の席になってしまったけれど、400席くらいのアンフィなのでインティメートな雰囲気が感じよかった。
今まで気づかずにいて悔やまれる…これからはもっと活用する!

何故いままで気づかなかったかというと、アンフィのコンサート&リサイタルはコンヴェルジャンスのページに載っていたから。コンヴェルジャンスのページなんて開いたことなかったからなぁ…。

それにしても、出かける前は具合が悪くなったら途中で帰ってくればいいやと思っていたのに、リサイタルが始まるや否や不調感は雲散霧消してしまった。おそるべき舞台の力!

2012/11/16

I Puritani / 清教徒(2012年11月16日 @Théâtre des Champs-Elysées)




何と言ってもスパニョーリを楽しみに行ったのだが、ペレチャツコの魅力いっぱいのコンサートだった。
密度のあるなめらかな高音+流れるようなレガート+珠を転がすようなコロラチューラに加えて
明るく輝く声質。おまけに(ここ重要)とても可愛い!

前半の「アルチューロと結婚するの、嬉しいワ〜♡」という感情と、後半の「悲しい、裏切られたのね、嘘よね、ホントかしら?」という感情の違いが演出なしで感じられるのだからすごい。
来シーズンのONPの清教徒はドゥセとフロレスというプロノスティックがあるが、ドゥセがどんなに演技派だといっても今の声の状態でエルヴィーラを歌うのは無謀だとおもう。できればペレチャツコで観たいワタシ…。

アルチューロはロシア人のディミトリ・コルチャク。彼の声はロシア人独特のビロード感のある声ではなくて、あくまでも明るくボリュームのあるものだ。が、美声と言えるのは20%程度で、あとは力任せに歌っている。ナポリ歌謡を屋外で歌って入るんじゃないんだから、うまくコントロールしてもっとニュアンスをつけて欲しいところ。
でも彼は研磨して輝きはじめたダイヤモンドの原石のように感じる。これから無理をせずにキャリアコントロールをしながら経験を積んでいけば、イタリア語のディクションもよいし、よいベルカンティストになると思う。
ただフロレスのような「天使に祝福された声」を持つことができるかどうかはまた別の次元の話だろう…。

そして楽しみにしていたスパニョーリの声を聴けて満足だった!
が、彼の声は太陽の光をうけたように明るく、真面目に歌ってもよい意味での陰鬱さというものがない。だからリッカルドのようなシリアスな役柄とは乖離感がある。ちょっと残念だなあと感じたところ。

しかし、オーケストラははっきり言ってしっちゃかめっちゃかだった。練習不足かもしれないし、あるいはスキゾフレニー的な指揮を繰り広げたピドのせいかもしれない。先日聴いたばかりのONPのトスカがあまりにもすばらしかったので、落差が激しかった。



Evelino Pidò  direction
Olga Peretyatko  Elvira
Dmitry Korchak  Lord Arturo
Pietro Spagnoli  Sir Riccardo Forth
Michele Pertusi  Sir Giorgio Walton
Rame Lahaj  Sir Bruno Robertson
Daniela Pini Enrichetta di Francia
Ugo Guagliardo Lord Gualtiero Walton
Orchestre de l’Opéra de Lyon
Chœur de l’Opéra de Lyon  direction Alan Woodbridge

2012/11/03

Tosca / トスカ (2012年11月3日 @Opéra Bastille)


Te Deum の素晴らしかったこと!
カウフマンがカヴァラドッシ役ののDVDで予習をしていたので、マルコ・ベルティがトドみたいで幕開けからヴィジュアル的にまず幻滅。絵を描くために組んである足場を踏み抜くのではないかという危惧さえ抱かせます。
そればかりでなく、第1幕第2幕とフロレスの3倍はあろうかと思われる大声でブルドーザーの如くゴリゴリとニュアンスのない一本調子で歌い続けるので大分辟易しました。バスティーユのあのホールにわんわん響くような大声ですよ。独唱リサイタルあるいは同じく大音響のソリストとコンサート形式で出るのがいいんじゃないでしょうかね。そして彼は演技者としては大根役者と言ってさしつかえないレベル。それがパワフルな歌唱に合った熱演なので「大根役者の熱演」という、観客としては「参っちゃうなぁ…」と困惑してしまうような結果になったのが残念です。
でも残念なことばかりではもちろんなく、いいところがあって。それはベルティはイタリア人なので、当然ながらイタリア語の歌い回しがいいこと(これとても大事!)。あと第3幕目のアリアはバッテリー切れだったかして(自分でコントロールしたのかも知れません)ぐっとトーンダウンしたため、その分声に陰影が出ると共に歌唱に深みが増して、共感できるカヴァラドッシに変身していました。


トスカ役のセラフィンはよく通る美しい声で、舞台上のプレゼンスもタイトルロールとしてしっかりしています。でも歌唱も演技もあまり強い印象を残すものではないのは彼女自身のキャラクター不足ということでしょうか。来年のヴァルキリーでジークリンデにキャスティングされていますが、このトスカがどんなジークリンデになるのか楽しみでもあります。
ミュルザエフのスカルピアはいかにもサディックな悪代官(あるいは悪徳廻船問屋)の顔になっていますが、どういうわけか歌い方と演技から善人さがにじみ出ていて少し残念な感じ…。声はロシア系独特のベルベット風というかスモーキーな美しい声で、スカルピアの冷酷で邪悪な役どころに合うかといわれるとちょっと「?」という気がします。彼は来年ラ・ジョコンダでこれも極悪人のバルナバにキャスティングされています。
不思議に感じたのがセノグラフィと衣裳がちぐはぐだったこと。舞台装置は巨大ながらもシンプルで光の使い方も美しいのに、衣裳が古くさくて貸衣装のように見受けられました。舞台装置と衣裳は同じ人が担当しているのに全然馴染んでいないというところに何か狙いがあったのでしょうか。
しかし、しかし、何をおいてもさまざまな「?」や「…」をことごとく翻してくれたこのプッチーニの音楽、それをここまで美しく聴かせてくれたオーケストラとコーラスに心から感謝。いえ本当にONPのオーケストラにここまで感動したのは初めてです。

Paolo Carignani
Direction musicale
Werner Schroeter
Mise en scène
Alberte Barsacq
Décors et costumes
André Diot
Lumières
Patrick Marie Aubert
Chef du Choeur
Martina Serafin : Floria Tosca
Marco Berti : Mario Cavaradossi
Sergey Murzaev : Scarpia
Nicolas Testé : Cesare Angelotti
luciano Di Pasquale : Il Sagrestano
Simeon Esper : Spoletta
Michal Partyka : Sciarrone
Christian Tréguier : Un Carceriere

Orchestre et choeur de l'Opéra national de Paris
Maîtrise des Hauts-de-Seine / Choeur d’Enfants de l’Opéra national de Paris


2012/10/27

La Fille du Régiment / 連隊の娘 ③(2012年10月27日 @Opéra Bastille)

今日は前回書いたホフマン物語を見るのに最適な席。(前々列にジョコヴィッチがフィアンセと
横にH&Aの演出家アレクサンドルと指揮者のミンコフスキも。)

ドゥセもフロレスも100%とはとても言い難く(特にドゥセは不調と言った方が正しいかも)、随分セーブして歌っていました。そのせいか、フロレスはアンコールに応えて"Ah, mes amis"を2回歌ってくれたのです。声自体は気をつけて歌っていたせいかとても美しく響いていましたが、先週の歌唱と比べるとパフォーマンスとしては70%弱といったところでしょうか。
観客はフロレスが思いがけずアンコールに応えてくれたので大喜びでしたが、あれは彼の本当のパフォーマンスではないなー、と思いながら聴きました。1度で満足な歌唱ができたら2度目は必要ないんじゃないですか、とインタビューに答えていたことがあったのでそれが彼の考え方かなと思います(もちろんそれ以降考えが変わったかもしれませんが)。コーラスのシェフが「18回のハイC」なんて嬉しそうにツイートしているのを見て、あらら…、と複雑な気持ちになりました。
"Pour me rapprocher de Marie"を聴きながらほんとうにハラハラしどおしでした。音の伸びがなくて、それでもひとつひとつの音を投げ出さずに大事に歌っていたのでレガートに少々難ありだった気がします。曲が進むにしたがって、極弱く極高い最後の音をどうするのかと気が気じゃありませんでしたが、さすがフロレス、しっかりと決めてくれました。調子が万全ではない時もある一定レベルの歌唱ができるのも、プロとして不可欠の才能なんですね。そしてフロレスの場合、そのレベルがとても高いのだと実感しました。
ドゥセもフロレスも顔にありありと疲労感が漂っていましたが、最終日あと1回大丈夫かしら…、と他人事ながら(私は最終日の席を手配しなかったので)心配になります。
今シーズンこの2人の連隊の娘を観られて本当に幸せでした♡ トータルのパフォーマンスとしては2回目がベストでしたが、インパクトはやっぱり初日がいちばん強かったですね、忘れられません。

オマケ: ローラン・ペリーとよく一緒に仕事してるシャンタル・トマスという舞台装置家がいますが、「シャンタル・トマスって下着のデザイン以外にもこんなことしてるのねぇ」と言う人が時々客席にいて、「別人ですよー」と言いたくなります(笑)。

2012/10/23

Médée (2012年10月23日 @Théâtre des Champs-Elysées)


 第1部(上)と第2部(下)の緞帳。クローディア・シーファーや
スカーレット・ヨハンソンのなど顔をコラージュしたものとのこと…

Hippolyte et Aricieを観た直後「あ、ステファンが歌う!」と、中央のよい席があったので演出家もセノグラファーも確かめずに即予約してしまったオペラです。予習を始めたところでこのセノグラファーのアーティストとしての作品を見て呆然としました。いやー、参りました。彼を知っていたらおそらくこの公演は見送ったことと思います。「なに、これを観に行くの?どうして?」などと言われ「それは私も訊きたい」と憮然としたものです。


ひとことで言って、Médée役のミシェル・ロジエの独壇場でした。嫉妬と復習の炎をメラメラ燃やす王女そのものを好演。赤いエナメルのラップコート風の衣裳が安っぽく見え、気の毒でしたが。歌唱に芯があり、役柄にうまく入り込めたのか自信が感じられ、もちろんまだコノリーほどのプレゼンスと貫禄はないけれどこの先がとても楽しみなメッツォです。
それにひきかえ彼女の夫ジャゾン役のAnders Dahlinの歌唱は「何、これ!」と思わず言いたくなるような出来。声のトーンを保てず、よく聞き取れないような薄紙のような声でスカスカと歌ったかとおもうと急に大声を張り上げたり、完全に音をはずしたり…、今日は調子が悪かったのだろうと彼の名誉のためにも思いたいところ。
ジャゾンがそんな調子なので、オロント役のステファンの歌唱が際立って美しく聞こえました。テゼー役の時にも感じましたが、口跡がよくて艶と質感のある声に品格の高さが加わってまさにバロックオペラのためのような声です。(テゼーの時と違って馬子にも衣装的効果がなくて視覚的には残念ではありましたが…)
クレオン役はLナウリ。奥様のドゥセと同じく演技派でなかなか魅せてくれます。ただ最初は歌唱も好調だったのに、第2部が進むに連れてだんだん声の密度が薄れていってしまったのがちょっと残念でした。
それにしても、意味不明なセノグラフィと意味不明な演出、全身黒タイツに身をつつみ、ユニクロのダウンベストを羽織った人々が組み体操みたいなことをする意味不明なダンス…私には視覚的に全く理解不能な舞台でした。
残念なことに音楽が印象に残っていません。多分初めて観るオペラだったので音楽的な面よりも芝居の方に意識が行っていたのだと思います。それにホールのせいか席のせいか、H&Aと同じオーケストラ(ル・コンセール・ダストレ)が乾燥した厚みのない音に聞こえました。が、これは指揮者の意図するところかもしれません。


Emmanuelle Haïm : direction
Pierre Audi : mise en scène
Jonathan Meese : scénographie
Marlies Forenbacher : scénographe associé
Jorge Jara : costumes
Willem Bruls : dramaturgie
Jean Kalman : lumières
Kim Brandstrup : chorégraphie


Michèle Losier : Médée, La Gloire
Anders Dahlin : Jason
Stéphane Degout : Oronte, un chef des habitants, un berger
Sophie Karthäuser : Créuse, La Victoire, 2e bergère
Laurent Naouri : Créon
 

Le Concert d’Astrée
Chœur d’Astrée


*セノグラファーのJ. Meeseはドイツ人の人気コンテンポラリーアーティストだそうです。2016年のバイロイトでパルシファルを担当するという噂を聞きましたが、本当だったらどんな舞台になるのか恐いもの見たさで気になるところ。






2012/10/21

La Fille du Régiment / 連隊の娘 ② (2012年10月21日@Opéra Bastille)




今日の観賞後の一言は「生きててよかった!」
初日の時に上から見下ろして確認して想像していた通り、今日はこのプロダクションに関して言えばこれ以上は望めようもないほどいい席での鑑賞となりました。
クール側(偶数番号の席)の観客はかなり欲求不満が残ったのではないかしら、と思われるほど(もちろん演出&フロレス自身の癖もあるでしょうが)ジャルダン側(奇数番号の席)には大サービスという感じで、心ゆくまでフロレスの歌唱を堪能いたしました。なんと言ってもトニオがですね、真正面20mくらいのところからワタクシの方に向かって手を差し伸べて"Ah, mes amis"を歌ってくれる(ように見える)のです!!!思わず立ち上がって舞台に向かって手を差し伸べたくなるのを一生懸命堪えましたが…。
多分この列より前になるとアリアは頭上を通過してしまうんじゃないかなと思います。でもどの演目でもここら辺がいいかというとそうではなくて、例えばあのグランディオーズなセット&演出のホフマン物語は15~19列目の真ん中あたりのほうがずっとよく舞台を楽しめます。それにしても、後から取った27日の席を変更してもらって本当によかった。最初にとった席はクール側だったので、悔し涙にくれたであろう可能性が大です。
初日よりもソリスト達はスムーズな波にのった感じでしたし、フロレスも声の硬質感がとれてそれはもう艶やかかつボリュームのある、輝く美しいアリアを聴かせてくれました。この中音域の濃密感というのはROH公演の頃には感じられなかったものですね。今後「天使に祝福された声」と言われる彼の声がどのように進化していくのかとても楽しみです。
オペラ全体としては今日の公演の方がコンプリート感があって充分に堪能できましたが、初日に受けた雷に打たれたようなあの衝撃を感じられなかったのは当然のことかもしれません。
こういう感動はそのまままるまる自分の心に取りこんで、分析などはあまりしないようにするのがいいのかもしれません。分析して言葉にしていくほど、自分が感じた本質から離れていくような気がして「あれ?そうだったかナ?」と実に不要な疑問が湧いてきたりするものですから…。

2012/10/15

La Fille du Régiment / 連隊の娘 ①(2012年10月15日@Opéra Bastille)



前につんのめったような状態で飛びついてしまったのでこんなに高い席なことが残念ではあるが…
(2ème balconの1列目、いちばん端の席だった)

待ちに待ったLa Filleの初日!
観賞後のひとことは、「あぁ神様!」。5月のTCEでのリサイタルでもフロレスの声のインパクトにノックアウトされたが、それとはあらゆる面で比べものにならない(比べようもないが)。
何と言っても歌よ、歌!オペラなのにこう言いきってしまっては身も蓋もないが、演出でもセノグラフィでも衣裳でもなくて、何よりもフロレスの歌唱に衝撃をうけた。もちろん演出もセノグラフィもよかったけれど。(マリーの衣裳はちょっと好みから外れている。)
"Ah mes amis!"に向かって観客の期待がふつふつと高まっていくのが感じられ、アリアの最中のホールは完全にフロレスのパーフェクトなラインの歌唱とオーラに満たされつくしている。パリでフロレスの"Ah mes amis!"を初めて聴いているのだ(リサイタルではなく)!歌い終わった時にはまるでバスティーユのホールが崩れ落ちるのではないかとおもわれるほどの拍手と歓声。それまで最高潮に達していた圧力がどっと解放されたかのよう。パリの観客はいつもクールでスタンディングオヴェーションもめったにないが、こんな大音響での熱狂の渦のなかに身をおいたのはは初めてだ。
有名なこの"Ah mes amis!"がハイライトのような気がするが、私は第2幕のロマンス"Pour me rapprocher de Marie"が歌詞もメロディーもより心をうつものと思っている。ここをフロレスはひとつの音もおろそかにすることなく、まるで手中に儚い宝物を持っているかのように美しいレガートで大事に大事に歌い上げる。もうね、感涙ものなワケです。これを聴いて心を動かされないようなヒトは人間じゃあありません。
そしてフロレスって歌唱はもちろん、演技にも雑なところが全くなくて、それがまた感動を倍増させるのね。



フロレスはロイヤルオペラハウスのDVDに比べて格段にフランス語が上手になっていて、それもまたこの作品に完全にのめり込める大きな要因のひとつになっていたと思う。イタリア語やドイツ語ならそこまで解らないのでそれほど気にならないが、あまりにフランス語のディクションが悪いと興醒めなのだ。その点ドゥセはフランス人だし、コルベッリも英語よりフランス語に堪能なくらいだし、願ってもない好トリオ。これまで何度もこの演目で共演しているこの3人のコンプリシテ感が観ていてとても楽しい。

またドゥセのピアニシモをホールの隅々までしっかりと届ける歌唱をあらためてすごいなぁと思った。今日は少しパワー不足なのをメリハリを上手くつけてコントロールしているかなという感じ。高音はやっぱりちょっと厳しいかなと思わされるけれど、中高音の滑らかさと美しさが加わった感じがした。あと言うまでもなく彼女は役者。よくもまぁあれだけ動いて演じてしっかりはずさずに歌いきれるなぁと感心。細身ながら筋肉質。


先シーズンのセビリアの理髪師でもとてもよかったマルコのイタリアオペラの指揮はとても気に入っている。今日も期待を裏切らない爽やかで軽やかな(浅薄ではない!)メロディーのドニゼッティを聴かせてくれた。

いやフロレスは本当にペルーのポップス歌手になってなくてよかった…。フィラデルフィアのカーティスに留学する時、航空券を買うためにルノーを売ってくれたお母さん、本当にありがとう。もし航空券が買えないからって留学話がおじゃんになってたら、フロレスのいない今のオペラ界はどんな風だっただろうとしみじみ思う。
リシュリュー・ドゥルオで降りてから、フロレスのアリアを思い出してはポロポロ泣きながら歩いて帰ってきたのであった…


Marco Armiliato Direction musicale 
Laurent Pelly Mise en scène et costumes 

Natalie Dessay : Marie 
Doris Lamprecht : La Marquise de Berkenfield 
Dame Felicity Lott : La Duchesse de Crakentorp 
Juan Diego Florez : Tonio 
Alessandro Corbelli : Sulpice 
Francis Dudziak : Hortensius 
Robert Catania : Un Paysan 
Daejin Bang : Le Caporal


オマケ:クラケントープ公爵夫人はフェリシティー・ロット。アコーデオンに合わせてモンセラート・カバレも歌ったらしい"G' Schätzli"を歌ってくれる。

2012/09/22

Les Contes d'Hoffmann / ホフマン物語 ②(2012年9月22日@Opéra Bastille)


今日の一番はアントニアのAna Maria Martinez。情感あふれる歌唱でバスティーユの巨大なホールを満たしていた。このまま歌い続ければ命をおとすと頭では解っていても心がそれを止めることを許さないという破滅的なジレンマの中で、彼女の澄んだ声がある種の狂気を含んで熱を帯びていくのが肌で感じられるかのようだ。第2幕のシーンはプログラムの表紙にもなっている幻想的なものである。舞台が上下に分けられていて下手前がオーケストラピット(ここには指揮台と椅子がセットされていて後に楽団員役の人々が着席する)、上部が舞台となっていて最初は緞帳が下りている。アントニアの亡き母の声が聞こえてくると緞帳が開き(ここがアントニアにとってのPoint of no return)、そこに母の幻影と思われるペルソナージュが立ち、娘のアントニアに呼びかけるように歌う。まるでスペクタクルが始まり、進行しているかのように思わせる。母の幻影の歌うこの舞台は衣裳とライトとスモークの使い方であくまでも幻想的に、つまりこの世のものではない感を充分に漂わせることに巧みに成功している。

先述の第2幕の現世とあの世の境目を行き来するようなセノグラフィは目眩がするほど美しく、リアリティのある演出と渦巻くメロディの三重唱の相乗効果でグワーンと観客席に迫ってくる感じ。息がとまりそうになった。これ以上続いたら心臓が止まる!というギリギリの所で第2幕が終了してアントラクトの20分間で呼吸と心臓の鼓動を整えてから第3幕へ。このセノグラフィがまた「(英国人観客が感嘆するところの)ジーザス…!」で、ボーッとしていると35分くらいしかない第3幕はあっという間に終わってしまう。

それにしてもホフマンを演じるセッコはほぼ最初から最後までオンステージなので大変だ。でも彼は大酒飲みでヨレヨレで頼りなく、気弱だったり意地っぱりだったりしながらもミューズを惹きつける煌めきをかいま見せるホフマンである。もう少しアクの強いところを見せても良いなぁと感じるけれど。とにかく4悪人役のフランク・フェラーリのディアボリックな存在感が圧倒的なので、ホフマンのヘロヘロな部分が浮き上がり、ともすると主役なのに影が薄くなってしまうのだ。
"On est grand par l'amour et plus grand par les pleurs!"っていう最後の歌詞が妙にとって付けたようで陳腐で興醒めなのだが。これで最後に陶酔から覚醒させられるというか何と言うか…それが狙い?しかし終演と同時にまたもう一度観たくなるオペラである。

PARTERRE 21 1-2

2012/09/16

Les Contes d'Hoffmann / ホフマン物語 ①(2012年9月16日@Opéra Bastille)



今まで観た中で最高のセノグラフィと演出かもしれない。2000年のプロダクションだが変に古びてしまったたところがなく、今も燦然と輝く舞台である。本当に素晴らしかった。この演出はユネスコの無形文化遺産にするべきだろう(言い過ぎか…)。

タイトルロール、ホフマン役のステファノ・セッコは前奏が始まる15分以上前から舞台上に横になって飲みつつ執筆中。舞台上にいくつかオブジェを置き緞帳を開けたままにしておくのは、現在ガルニエで上演中のカプリッチオと同じイメージのもの。そしてホフマンは詩人で音楽家という設定なので、これもまたカプリッチオに通じるものがある。これはONPのプログラム構成の妙だと思う。(プログラム構成の妙と言えば、バレエの”Le Fils Prodigue/放蕩息子”にオペラの”The Rake's Progress/放蕩者のなりゆき”が続いていたのもそうだろう。)


舞台は進んでホフマンの現在の恋人ステラの出演するドン・ジョヴァンニが繰り広げられるシーンだが、当のホフマンは未だに酒瓶を友に執筆中(写真上)。このシーンはごく短く、このドン・ジョヴァンニの舞台シーンはまるごと舞台下手から現れ、舞台上手に去っていくというその大掛かりなセットに驚く。そしてルーテルの酒場に変わるが(写真下)、このバーは床下からギューンと出てくる。この舞台転換がほんとうに素晴らしい!ホフマンはこのバーの上でクラインザックの歌を歌う。


少し見づらいけれど、劇場の左右に開く緞帳の裏側(舞台側)はこうなっている(写真上)。これは第3幕が始まるときの緞帳で、これが左右に開くと舞台にはこちら側をむいたガルニエのバルコンのような客席というセットになっている。並んだ椅子の列が左右に波のように動き、その椅子に座ったジュリエッタとニクラウスがバルカロールを歌うという夢のようなシーンだ(写真下)。
すぐ後ろに座っていた英国人、開演直後から囁くような"Gorgeous!"を連発していたが、3幕目が始まると"Jesus…!!!"と絶句していた。いや、本当にこのシーンはゴージャスですよ。ため息モノです。

歌唱で印象に残ったのはオランピアのジェイン・アーチーボルド(写真上)。もう歌も演技も狂ったオートマット感たっぷり!かなり際どく迫る演出はあのオートマットだから面白い。クリアな声もコロラチューラも全くストレスがないし、複雑なバリエーションも軽々と歌いまわしている。来年のクレオパトラをどのように歌うか、一層楽しみになった。
一方ニクラウス/ミューズのケイト・アルドリッチは調子がいまひとつだったのか、声量がなくて(バスティーユのホールが大きすぎるせいもある)あれ?という感じだった。
演技で印象に残ったのは4役を演じたフランク・フェラーリ。無機質でビジネスライクなディアブルをそのまま体現していた。フランス人なので他の歌い手に比べて格段に言葉が聞き取りやすかったし、言葉に気を取られずに演技できたためかもしれない。
セッコは最後までほとんど休む暇もなく舞台に出ずっぱり。声をセーブしたり全開にしたり、コントロールが大変だろうと思う。フランス語のディクションがよければもっと説得力があるのに、少し残念。

しかし今日はなんと言ってもロバート・カーセンの演出、ミカエル・レヴァインのセット&衣裳、ジャン・カルマンのライトに感動させられたのだった。歌唱や音楽が二の次になってしまうのはオペラとしてどうなの、という気もしないではないが、一観客として私はそれでもいいと思っている。

オッフェンバックは多くのオペレッタで大人気になったけれど、批判も多かったようだし、晩年は落ち目でホフマン物語に起死回生を賭けてたのに完成できないで亡くなってしまうしと、なんだか気の毒な人だったような感じも。そして未完のホフマン物語が彼が作曲した唯一のオペラ。おまけに写真では年とって見えるが亡くなった時はまだ61歳だったとは、苦労が偲ばれる。今のこの人気を見て天国でほくそ笑んでいるだろうか…。

Tomas Netopil
Direction musicale
Robert Carsen
Mise en scène
Michael Levine
Décors et costumes
Jean Kalman
Lumières
Philippe Giraudeau
Mouvements chorégraphiques
Patrick Marie Aubert
Chef du Choeur
Jane Archibald : Olympia
Sophie Koch : Giulietta
Ana Maria Martinez : Antonia
Kate Aldrich : La Muse, Nicklausse
Qiu Lin Zhang : Une voix
Stefano Secco : Hoffmann
Fabrice Dalis : Spalanzani
Cyrille Dubois : Nathanaël
Jean-Philippe Lafont : Luther, Crespel
Eric Huchet : Andrès, Cochenille, Pitichinaccio, Frantz
Franck Ferrari : Lindorf, Coppélius, Dapertutto, Miracle
Damien Pass : Hermann
Michal Partyka : Schlemil

Orchestre et choeur de l'Opéra national de Paris
Parterre 9 9-11