2013/02/20

Die Walküre / La Walkyrie / ヴァルキューレ ①(2013年2月20日)


ヴァルキリーを前にして既にモルフェが両腕を広げているのが見える…第2幕のヴォータンの語りの間中覚醒していられる自信がない…などとつぶやきつつバスティーユに出かけていったのだが…。

Très émouvant!感動の第一幕(歌唱とオーケストラ)!ジークムントとジークリンデの素晴らしかったこと!双子の兄妹ながら惹かれあい愛しあう2人の情感が舞台からグワワーンと伝わってきた。この2人の愛の深さが神の運命を変えることになるのだから、それを納得させるような歌唱&演技でないと。
特に今夜の大発見はジークムント役のスチュアート・スケルトン。不幸にまとわりつかれて苦悩しつつもまっすぐな性格をよく表現していた。苦悩、驚き、喜び、決意などによって声の色がはっきりと違い、演技せずとも声自体が既に役者と言える。バスティーユを満たす"Wälze! Wälze!"の叫びには心を打たれずにはいられない。
演出は大いに「???」だが、Scène 3後半のセノグラフィが美しい。春の月夜を満開の枝垂桜と満月だけで表している。(個人的には円山公園の枝垂桜のように1本にすれば良かったのになーと思った)思わぬところで花見ができた気分...。
第一幕に比べるとずいぶん厚みに欠ける(あっさりした)第二幕だった...。多分ヴォータンとフリッカがこじんまりと歌い演じていたからだと思う。まぁ夫婦喧嘩と負けた夫の愚痴がほとんどを占めていてあまり面白くない場面だから仕方ないかもしれないが、まったく眠気を催さなかったということは実はいい歌唱と演技だったのかも(笑)。しかし、やはりヴォータンのプレゼンスがどうも軽いのが残念。シャツ、ジレ、パンタロン、ロングコートと全身黒ずくめで左目だけに色のついた金属縁のメガネ、という姿でどうも安っぽいギャングの親分風。対するフリッカは衣裳がスカートが巨大なパニエで広がった真っ赤なベアトップのドレス。全幕を通していちばん堂々としていて、ヴォータンを糾弾するために現れたその瞬間からもう「あぁこれは彼女の勝ちだ」と思わせる雰囲気だ。
あとは何と言ってもジョルダン&オーケストラにとても満足した。ラインの黄金とはガラリと変わって音楽のディレクションに明確な意志が感じられてドライブ感もよく、目眩く大きく深い流れのような音楽にしばしば陶然とした気持ちになった。やはりこういう風に聴かせて欲しいもの。
そういえばヴァルキリーなのにブリュンヒルデのことを全く失念していた。衣裳もヘアスタイルも全然説得力がないのが原因かもしれない。戦士というよりは Petite fifille という姿がまずイメージとしっくり合わずに「なんだか違うんだけどなぁ」といううっすらとした疑問が終始頭から消えない。フルメタルジャケットに不思議の国のアリスが出てくるようなイメージである。メローの声は第2幕の登場シーンから金属的な高音が耳に突き刺さるようで心地よくなかったし、その後も厚みのない声を引っぱり出すような歌い方に少々がっかりさせられた。第3幕後半のヴォータンとのシーンは説得力があるが、いかんせんあの衣裳が興を削ぐのだ!(2010年スカラ座のシュテンメのブリュンヒルデと無意識のうちに比べてしまうからこういうことになる。むー…。)


セノグラフィはさておき、「どうしてあれはこうしたんですか?」といちいち演出家にたずねたくなるような演出は観ている途中で邪魔になる。例えば、ノートゥングがささっているのはトネリコの木ということになっているが、それがアヴァン・セーン下手のただの壁にささっていることには何か意味があるのだろうか。
第1幕の最初、後ろの階段上でコマンドーみたいなのと戦って死んでしまう人々が約20人ほどいるが、彼ら(全部男性)が全裸でギョッとする。第3幕の最初のヴァルキリー達の作業に繋がっているのだろうがここで彼らが全裸でいる理由があるかしら?この戦いに倒れた勇者達の血だらけの遺体(自ら歩いてくる者もあれば、布に包まれて引きずられてくる者もある)が白いナース服のような衣裳を着たヴァルキリーによって拭き清められるのである。このヴァルキリー達はナースにこそ見え、戦士には見えない。そして作業中の彼女たちの後ろでは、白いつなぎ服を着て白い仮面をつけた人々(ヴァルキリーに清められ、ヴァルハルの警護につくことになる甦った勇士たち)が奇妙な踊りを繰り広げている…あの振付けは何なんだろう…???
最後のシーンで無言のエルダが舞台をゆっくりと横切っていくが、あれはラインの黄金を観てない人には何だか判らないだろう。

Parterre 5-29