透けるカーテンに描かれた絵。この絵が額に入れられてセットの正面の壁に掛かっている。 |
直前にホモキとドゥ・ビリーの間でカットを巡るいざこざがあり、フォークトはホモキの側についてメイヤーもドゥ・ビリーを擁護しなかったとかで指揮者の重要性をないがしろにされたと感じたドゥ・ビリーは指揮棒を投げ(実際に当事者達から話を聞いたわけではないので真相は分からないけれど私はこのように理解した)、代わりに指揮台に昇ったのはフランク、という曰く付きとなったウィーンの新プロダクション。
まずはフォークト、まさに聴き時! これまでも極上のシャンパーニュのように素晴らしい歌唱だったけれど、声にブロンズのような輝きが加わってシュヴァリエ・モンラッシェのような骨格のしっかりした白ワインのイメージに変化してきた気がする。無茶をせずに着実に自分の声を進化させているのだろう。その声もキャラクターもフィジックもローエングリンを歌うために生まれてきたソリストのように感じられるし、実際何回も歌っているのだろうけれど(今回は新プロダクションということもあるかもしれない)慣れた役を歌い流すところがないのがとても良い印象を残す。これは翌日ボータのパルジファルを聴いてその感をさらに強くした。
エルザ役のニュルンドは先日のRDSのパフォーマンスを思い出させる。全く色がなく影が薄いと言うか、歌唱からも演技からもあまり伝わってくるものがない。周りに役者がそろっているだけに全体のパフォーマンスとして見た時に彼女の部分だけ凹んだ印象を持つ。
一方テルラムント役のコッホが歌唱、演技とも迫真のパフォーマンス。密度のある声のパワーもプロジェクションも抜群で揺るぎない歌唱に加え、ブリュットで野卑で強がっているが、オルトルートに操られている弱さも合わせて巧く演じきっている。隅から隅まで盤石にconvaincant!
かなり期待していたのに”あれー???”と思ったのは、フランク指揮のオーケストラ。彼はあれではオケもソリストもコーラスも率いていないと言って言い過ぎではない。オケは勝手に演奏しているようでそれぞれのパートのバランスが良くないし、コーラスとはズレることが多い。そういうわけでオケはまとまりに欠け、予想よりも随分良くなかったが(トランペットの凄いcouacがあって思わず夫と顔を見合わせてしまった)、パックの休暇でエキストラが多いとかそういうことだろうか?みずみずしく聞こえるのかと想像していたホールの響きはかなりsecな印象だったが、これはこれでいいなと感じた。
そして演出についてきづいたことなど。
前奏曲の間、絵が描かれた薄いカーテンの後ろでこれまでのストーリーが簡単に演じられる。演じるのはいいが大勢の人々が出てくるので足音がうるさくて美しい前奏曲の邪魔になること甚だしい。ここは別の方法を考えて欲しいところ。
ソリストとコーラスへのディレクションは全体的に的確で分かりやすい。
粗野でいまひとつ柄のよくないブラバントの人々とソフィスティケートされて控えめなザクセンの人々の明らかな違いがチロルの民族衣裳風の服装とその振る舞いによって示される。最初のうちは水と油のように馴染まない人々。テルラムントなんて非常に柄の悪いうえに野卑なノーブルさなど一片もない男に描かれている。
第3幕第3場がビアホールなのには笑ってしまった。第1幕のよそよそしさはどこへやら、みんな一緒に木の大きなジョッキを持って歌い、一斉に轟音を立てて木のテーブルにそのジョッキを置く(遅れた人がいたね)。
フォークロアな(チロル風?)の衣裳 |
そして場面ごとに弱い立場にあるもの(例えば登場時のエルザ、ローエングリン、決闘に負けたテルラムント、オルトルート)はしっかりした布地で作られた上着やスカート、ショートパンツなど身につけず、白いコットンの下着のような衣裳をつけている。
箱の奥の左右に開いた出入り口、箱の手前の左右にドアがあり、奥の2つは正式な出入り口、手前のドアは何か隠し事が合ったりする場合の訳ありな出入り口と、はっきりと区別されている。
ローエングリンとテルラムントの決闘で勝敗が決まるシーンはもたついていて説得力に欠ける。ああいう指示がでているのか、演じる方が下手なのかちょっと謎。
第1幕でエルザが白鳥の首を片手で持ってぶら下げるように持ち歩くことがあり、そのぞんざいな扱いに非常に違和感がある。またこの白鳥、頭部はリアルなんだけど全体的に小さくて陶器の置き物みたいなんだなあ…。ゼラニウムの鉢を入れるポットじゃないんだからもうちょっと何とかした方がよかったんじゃないかと思う。
ローエングリンが登場する場面では上からの強い光に惑わされた人々が渦をまき、それが収まって人々が引くと中央に彼がうずくまるように横たわっている。ピクピク動いたりするのでこれはあのスカラの登場シーンをまるっきり真似したと思われても仕方ないだろう。人の渦は面白いアイディアだし、登場シーンはスカラとは違った方が良かったのではないかしら。ちなみに最後の帰って行くシーンも同じように人々の渦の中に消えていき、人々が引くと今度はゴットフリートが最初のローエングリンと同じ体勢でそこにいる、という具合。
セノグラフィがずっと同じ木箱(他に例えようがない)に、IKEAで売っているような12個の木のテーブルと多くの椅子だけなのではっきり言って途中で飽きた(笑)。が、うまく熟成していく可能性を秘めた新プロダクションのように感じられた。
Dirigent Mikko Franck
Regie Andreas Homoki
Ausstattung Wolfgang Gussmann
Licht Franck Evin
Dramaturgie Werner Hintze
Chorleitung Thomas Lang
Heinrich der Vogler Günther Groissböck
Lohengrin Klaus Florian Vogt
Elsa von Brabant Camila Nylund
Friedrich von Telramund Wolfgang Koch
Ortrud Michaela Matens
Heerrufer Detlef Roth
Mittelloge 2 17-18
Dirigent Mikko Franck
Regie Andreas Homoki
Ausstattung Wolfgang Gussmann
Licht Franck Evin
Dramaturgie Werner Hintze
Chorleitung Thomas Lang
Heinrich der Vogler Günther Groissböck
Lohengrin Klaus Florian Vogt
Elsa von Brabant Camila Nylund
Friedrich von Telramund Wolfgang Koch
Ortrud Michaela Matens
Heerrufer Detlef Roth
Mittelloge 2 17-18