2012/12/07

Carmen ①(2012年12月7日 @Opéra Bastille)

製作中のカルメンのセット

あぁ、今夜のカルメンのチケット買ってしまった…。アボヌマンで取っておいた日はデエのカルメンの日だったので、ROHやオペラ・コミックであのカルメンを歌い演じたアントナッチを観たかったのだ。午前中にサイトを覗いたら戻りチケットがあり、それほど悪い席ではなかったので「これはもうお告げだな」と行くことにした。
プルミエ直後から、いやRG時からすでに厳しい批評の突風にさらされているこのプロダクション。初演のオペラ・コミック版のように台詞でストーリが進んでいく( レシタティフではない)。リヴレによると時代は1820年代、場所はセビリアということになっているところを、時代は登場人物の服装から見るにフランコ独裁終演後の1970年代後半La Movidaの頃、場所はセビリアを感じさせるものはない。そして何よりも「!!!」なのは当のカルメンがマリリン・モンローのようなブロンドなのである。あとはストーリーと関係のないストリッパーやトラヴェスティが出てくるのも邪魔と感じる人もいただろう。

開幕直前、カーテン前に人が出てきて「シューコフ氏はここ何日か調子が良くないのですが、今夜は歌う事を了解してくれました」とアナウンス。プルミエの日にひどい歌唱でブーイングを浴びたらしいが、そのまま復調していないのだろう。そうしたらもうその通り、おっかなびっくり歌ってるわけで6割くらいのパフォーマンスだったんじゃないだろうか。とにかく高音を絞りに絞って、きつそうで、聴いているこっちがハラハラする。後半時々「あ、ここ今ちょっと本気だしたんじゃない?」風な音がいくつかあった程度で、お世辞にも満足できたとは言えない。
そこでエスカミリオのテジエが「ここは自分が頑張らねば!」と意気に感じたかどうか分からないが、持ち前の大声で歌う…。いや、パフォーマンスとしては悪くないけれど、彼の個性にあった役ではないなぁと感じた。
あとズニガのリスも、あなたマイクつけてませんか?ってくらいのよく通る大きな声だった(笑)。ただ彼の声はH&Aの時も感じたけれど、直径の太いパイプのように空洞に聞こえる時がある。もっと密度のある声を聞かせてほしいと思う。ニュアンスがなくて飽きのくる歌唱なのも気になる。
アントナッチはさすがカルメンを当たり役としているだけあって、声の色と深み、場面ごとの表情のつけ具合にも説得力がある。もしかしたら今までとは全く違ったカルメンを演じて彼女個人としては楽しかったかもしれない。しかし、残念な事にいかんせん声にボリュームがない…。ガルニエくらいの大きさじゃないと届かない声だ。連隊の娘のドゥセは声が小さくても「届く声」なので、そこが大きくちがう。
ミカエラ役のキューマイヤーの声が清純な役にピッタリの透明感あふれるもので、これがオーケストラの音色にマッチして効果を上げていたと思う。役者としてはいまひとつ、いやふたつくらいかなぁ…。まず台詞のフランス語のディクションに大きな疑問符がつくし、おさげのカツラにベレー帽、青い衣裳も似合わなくて気の毒になる。それに加えてオペラグラスで見ると、どうもドン・ジョゼの恋人というよりも「あら、お母さん、自分で手紙持って来ちゃったのかしら?」と冗談のひとつも言わねば済まないような感じで、なかなか感情移入できないのだ。


場面として強く印象に残ったのが、最後のシーン。舞い戻ったジョゼがカバンに詰め込んで持ってきたもの、それは何と「薄汚れたレースのウェディングドレス」というのが怖い!ダイレクトに結婚してくれとは言わないが、カルメンに無理に袖を通させ、しつこく復縁を迫るこのシーンのジョゼがサイコパス的で恐ろしさ満点!
そして最終的に普通はカルメンを短刀で刺し殺すわけだが、その曰くありげなウェディングドレスで絞殺するってのも怖かった…。またシューコフがこういう粘着質なサイコパス役がピッタリなんですな、これが。しかしこの場面はこんな狂気のシーンが繰り広げられている時のライトの使い方が際立って美しかったので明記。
2人の立っているすぐ後ろの舞台の床が巨大な台形に切れて床下に下がって行き、真っ暗な空間が現れるが、ここへの人や物の出入りは一切ない。単なる穴があくのである。日本人の私が見ると奈落の底に落ちていく2人のイメージに重なるが、それを演出家が意図していたかどうかは判らない。


そして何が素晴らしかったかと言うと、ジョルダンの指揮&オーケストラ。
颯爽とメリハリのある、透明感のある色彩に満ちた、流麗なビゼーの音楽に仕上がっていた。清冽な水が流れるようなイメージなので、暑く乾燥してホコリっぽいスペイン的カルメンをご希望の方々の好みではあるまい。コーラスとの音量のバランスももちろんよく、またソリストの声を消すことなく音楽にのせてくるところなどは巧いなぁ、と。
その一方でセノグラフィが美しくないのが大変惜しまれる。舞台転換のないセットのアイディアと倉庫のような建物のフォームとストラクチャーはいいのに、全体として見た時の色が汚い…。まず舞台に人が多く兵士以外はそれぞれ雑多な服を着ているので、ゴチャゴチャとしてまったく統一感がないのだ。いくらバスティーユの舞台が広いからといって、あんなに人を並べなくてももいいのに。特に第3幕の最初、闇売の場面。


演出のボーネンはアルモドヴァールの映画からインスピレーションを得たとのことだが、映画という二次元の世界で美しいもの、それも画面で意図的に切り取って見せることができるものを、舞台という三次元の世界で見ても同じように美しくみえるとは限らないだろう。
この二次元と三次元の見た目の美しさの違いに思い至ったのは、舞台全体を観ているとそれほど美しくないのに、オペラグラスを通して切り取った図絵で観てみると、ハッとするほどよい絵になることに気づいたからである。
そのため美しい音楽との乖離が大きく、作品としての一体感が感じられなくて惜しい。舞台で演じられている演劇としての雰囲気とピットで演奏されている音楽が作り上げる世界が別物のように感じられるのだ。それを対称的なものが補完し合うという意味で評価する人もいるだろうと思う。
でも個人的にはそれは好みではなくて、舞台と音楽が絡んだり解れたりしつつ融合し、それが相乗効果を生んで1つの作品がグワーンと膨らみを増すというのが理想だが、理想はあくまでも理想である。
そういう意味では昨日のカルメンを観ていて「あれ、これカルメン?あれ?」というような落ち着けない気分で作品にのめりこんでいけなかった、というのはある。(まぁ隣に座ったincivilité incarnéeみたいなスペイン人父娘のせいもあったが…。)

次回はアントナッチじゃなくてデエだけが、回が進んで作品としてもっとこなれたものになっていることを願う。いやそれよりもなによりも、シューコフがきちんと歌えるような状態に戻っていてくれないと困ります!

Philippe Jordan
Direction musicale
Yves Beaunesne
Mise en scène
Damien Caille-Perret
Décors
Jean-Daniel Vuillermoz
Costumes
Joël Hourbeigt
Lumières
Jean Gaudin
Chorégraphie
Marion Bernède
Dramaturgie
Patrick Marie Aubert
Chef du Choeur

Nikolai Schukoff : Don José
Ludovic Tézier : Escamillo
Edwin Crossley-Mercer : Le Dancaïre
François Piolino : Le Remendado
François Lis : Zuniga
Alexandre Duhamel : Morales
Anna Caterina Antonacci (4 au 16 déc.) / Karine Deshayes (20 au 29 déc.) : Carmen
Genia Kühmeier : Micaela
Olivia Doray : Frasquita
Louise Callinan : Mercedes
Philippe Faure : Lillas Pastia
Frédéric Cuif : Un Guide

Orchestre et choeur de l'Opéra national de Paris
Maîtrise des Hauts-de-Seine / Choeur d’Enfants de l’Opéra national de Paris


1ER BALCON 4-18

*今年のオランジュのラ・ボエームでマルチェッロを演じた時には気づかなかったが、テジエがトド化していた。プレスリー風のコスチュームを着ているのでまるでKing!だから素晴らしいマタドールの衣裳が似合わないこと甚だしく、残念。
*カルメンの登場シーン、ドン・ジョゼは後ろの方で上着のボタン付けをしていて微笑ましい(笑)。