2014/02/22

La Fanciulla del West / 西部の娘 ⑵ @Opéra Bastille

ピストルを撃ってミニー登場 ©Charles Duprat/ONP

これは「アメリカの西部の娘」ではなくて「ヨーロッパから見て西の方にある国の娘」。この演出、荒唐無稽で面白過ぎる!第1幕はNYの摩天楼が見える(それも打ち破られたような壁の大穴から!)バーが舞台。ピカピカ光るスロットマシンや安っぽい不揃いの椅子などが雰囲気をはっきりと出している。そこに集まる男達は黒革のコートやブルゾンに黒革のパンツ、黒革のブーツ、黒いテンガロンハット。この人たちが大勢なので、彼らが移動する時に足音がとてもうるさい。ラ・ジョコンダの時もそうだったけれど、演出家や指揮者はこういう騒音が気にならないのかしら?ジェイク・ウォレスは白装束で、袖にのれんのようなピラピラのついたカントリーシンガースタイル。彼が歌う時は摩天楼の映像が緑の牧草地の映像に変わる。ミニーは赤革のロングコートに黒のテンガロンハットで文字通り紅一点。ピストルの轟音とともに登場。


©Victor Tonelli

第2幕の舞台は一転して雪化粧の山の中。周りを針葉樹に囲まれた舞台中央にドカーンと置かれた銀色のキャラバン(キャンピングトレーラー)。その両側には巨大なバンビが狛犬のように踞って客席を見ている(目が光ったりするのよ!)。すぐ横のポールには国旗が。キャラバン内部は壁からベッドにいたるまで濃いピンク色のレザー張りで金色ボタンでキャピトン加工されていて、まるでバービーハウスのよう(幕が上がると客席から笑いが)。ベッドの上にはぬいぐるみが置かれていてミニーのナイーブな少女趣味を強調。内外の雰囲気の両極端さが面白い。


両脇の車の山が見えづらくて残念! ©Charles Dupurat/ONP

第3幕の幕が上がるとそこには廃車になったポンコツ車が山のように積み上げられている(あれを積み上げて固定するの大変だろうなーと思った)。それを目にした観客からONPのオペラの舞台では稀な事に拍手が。もちろんあちこちから「シーーーーッッッ!!!」という声が上がって拍手はすぐに止んだ(笑)。そしてそのポンコツ車の山が左右にガーッと開くとライト輝くレビューの白階段があり、ミニーはその上から真っ赤なスパンコールキラキラのドレス姿で現れる(こういう格好の古いアニメのキャラクターがいたと思うんだけど思い出せない)。同時にバックスクリーンにはMGMのライオンのロゴにそっくりな映像が映し出される。そして首吊りを免れたジョンソンの姿が見えなくなったと思うと、彼は階段の上から白いタキシード姿で登場(笑)。映像でドル札がバラバラと降ってくる(爆)。最後、幕がおりる直前に手前のスクリーンに大写しになるのが20ドル札なんだけど「何だかんだ言っても、ま、20ドル程度のモノよ」ってことかしら(笑)。
まぁちょっと歌詞と合わないようなところもそこここにあるのでピュリストの方々はご立腹でしょうが、私は気にせず大いに楽しんだので、このレーンホフの西部の娘のようなプロダクションをもっと増やせばいいのにな、と思う。

先に始まった西部の娘と一部重なるように蝶々夫人がプログラムされているが、同じプッチーニでも全く違った世界が観られて本当に面白い。音楽的には西部の娘の方が一貫性があるが驚きがない感じ。蝶々夫人の方は「あれ?これ火の鳥?」と思うような部分があったりして複雑なモザイク感がある。
それにしても年明けからウェルテル、西部の娘、オネーギンってONPでは銃声が響き渡ってますね(それが狙い?)。

今日はベルティが思いのほか好演。ちょっと痩せて(それでもお腹が丸いけど)何より始終大声でがなりたてないところがいい。そして演技巧いなぁ…とは言い難いが、トスカの時に辟易させられた「大根役者の熱演」ではなくなっている。でも彼が演じるとどんなキャラクターも芝居としてあまり深みのないサラーッとした人物になりがちなのは残念なところ。(「好演」と始めながら、結局「残念」になってしまったではないか!)


CARLO RIZZI  Direction musicale
NIKOLAUS LEHNHOFF  Mise en scène
RAIMUND BAUER  Décors
ANDREA SCHMIDT-FUTTERER  Costumes
DUANE SCHULER  Lumières
DENNI SAYERS  Mouvements chorégraphiques
JONAS GERBERDING  Vidéo

NINA STEMME  Minnie
CLAUDIO SGURA  Jack Rance
MARCO BERTI  Dick Johnson
ROMAN SADNIK  Nick
ANDREA MASTRONI Ashby
ANDRÉ HEYBOER  Sonora



PARTERRE 7 27-29 



2014/02/17

Madama Butterfly / 蝶々夫人 @Opéra Bastille

派手さはないけれど、なんという優しさに満ちたマダムバタフライの音楽!!!オーケストラbyカッレガーリの音楽だけでも陶酔できる。
この夜の公演の何が良かったかと言えば、ソリストのひとりひとりのパフォーマンスがよく、また彼らのバランスが絶妙だったこと、それらすべてを時に熱くまた優しく、あるいは微風のように心情的に腕に抱くようなオケとの融合感。パズルのピースがそれぞれピタリとはまった時のような完成度があった。
これで演出とセノグラフィがコテコテだと頭が爆発したり消化不良になったりするところだが、ウィルソンの様式化された演出がスッキリと見せてくれるので、音楽、歌唱、セノグラフィそれぞれの印象が長く心に残る。

蝶々さん役のヴァシレワ、あの小柄細めの身体のどこからあのパワフルな歌唱が…と驚嘆。第1幕では表情も歌い方も本当に15歳くらいの少女に見えるが、2幕3幕になると顔つきも声の迫力も変わって行く。声そのものに感情のニュアンスが合って歌詞を知らない観客も泣かせられるソリストだと思う。

ONPに初登場のILINCAI(イリンカイと読むのかしら)、もう彼はピンカートンにピッタリでw。明るくて思慮浅く自己中心的なキャラクターそのものの声(とルックス)。それほど密度はないけれどクリアな声、パーンとしたプロジェクションと響きのよさ、他の役でも聴いてみたい。

シャープレスのヴィヴィアーニ、ピンカートンとの対比がピッタリ。思慮深く、周囲に気を配る思いやりもある。そのキャラクターにあった信頼感のある声もとても心地よい。少し気弱な印象を受けるのは演出のせいか、それとも控えめな声のプロジェクションのせいか…?

スズキ役の演出が非常に良いと思う。出しゃばらず心配性で蝶々さんへの愛情がこもっている。それをOncioiuがそれはもう巧みに演じている。歌唱も役柄に合った声色なので彼女の思いがすんなりと理解できる。彼女は舞台の中央辺りにいることが多いが、上のバルコンではどう聞こえただろう?

やっぱりウィルソンの演出。また20年後に観ても全く古さを感じさせないだろう。セノグラフィはシンプルの極地、コレグラフィはウィルソンと度々コラボしている花柳寿々紫で、登場人物の動きは様式化されている。ソリストはかなりの稽古が必要だったのでは。袖をたたむ仕草などとても美しい。極度に簡素化され光によってガラリと印象を変えるセノグラフィ、様式化された立ち居振る舞い、ウィルソンが表そうとした蝶々さんの生きていた日本のイメージがここにあるのかなと思う。

この演出が他と違うのが第2幕の終わりから第3幕の初めにかけて。普通スズキと息子は眠ってしまうが、この演出では息子は眠らず(何か紙の人形のようなものを置くので夢の中を表しているのかも…)舞台を回りながら時々何かをつまんで口に入れる仕草。母の元に戻り、それを1つ1つ口から出しつつ母の手のひらに置く。これが何を意味するのかは謎。普段はこういう意味が解明できない演出は好まないが、この場合最初から最後までスタイル化されているので幸いな事に気にならなかった。


この部分の音楽が素晴らしくて幻想的なシーンと相まって文字通りtransportéeな心持ちになる。が、今正気に戻って振り返ってみるに、カッレガーリも自らメロディーを歌いつつかなり陶酔してたのでオケはついていくのが大変だったのでは…。


DANIELE CALLEGARI  Direction musicale
ROBERT WILSON  Mise en scène et lumières
GIUSEPPE FRIGENI  Co-metteur en scène
MARINA FRIGENI  Collaboration à la mise en scène
FRIDA PARMEGGIANI  Costumes
HENRICH BRUNKE & ROBERT WILSON  Lumières
SUZUSHI HANAYAGI  Chorégraphie
HOLM KELLER  Dramaturgie

SVETRA VASSILEVA  Cio-Cio San
CORNELIA ONCIOIU  Suzuki
TEODOR ILINCAI  F.B. Pinkerton
GABRIELE VIVIANI  Sharpless
CARLO BOSI  Goro
FLORIAN SEMPEY  Principe Yamadori


PARTERRE 3-13
お隣の席には「世界中を遊びあるってるのよ」とおっしゃる83歳の元気なおじいさま。「これね、昔からいくつも観てるけどね、いいねぇ、この演出。動きが能の動きだねぇ。本当にいいねぇ。年末にドレスデンで観たのよりずっといいよ!」とおっしゃっていました。

2014/02/07

La Fanciulla del West / 西部の娘 ⑴ @Opéra Bastille

今夜の西部の娘、ベルティがキャンセルなのでR.Rojasというヒトがアヴァンセーンで歌ってD.Doonerっていう演出家のアシスタントが演技をするんですってー!話に聞いたことはあっても実際こういう場面に遭遇するとは思っても見なかった、何とまあ不可思議な公演を観に行くことか。(オプティマ席じゃなくてよかったと安堵。)
ベルティ、好みのテノールではないけれど今回はそこそこ評判がいいようなので密かに楽しみにしていたので残念だが、再来週に持ち越し。しかし誰なのこのテノール?まさかアトリエ・リリックから引っぱってきたんじゃないでしょうねー?!

演出もセノグラフィも面白いのに、やっぱりアヴァンセーンで歌われると大変に興を削がれる。助手の芝居が巧いので余計に変な感じ。ジョンソンは舞台の右端にあるカウンターにいるのに声は左端から聞こえるのは感覚的に戸惑うし(いや本当に舞台直近じゃなくてよかった)だいたい歌ってるときウィスキーは飲めないはずだ(笑)。

シュテンメのみずみずしい声(第1幕はそれほど本調子とは思えず、また最高音は出しづらかったのか「準備して」かつ硬い声だったけれど)とプレゼンスが際立ってしまったのはジョンソン役がそういうコトだったので仕方がないが、彼女も演じにくかっただろうなぁ。でも代役氏の方がルックスは数段上だったと思う(笑)。

そしてランスのスグラはこの役にピッタリの容貌で、このキャスティングの中でいちばんはまり役のように見える。ラ・ジョコンダのバルナバよりもこちらの方が似合っているし、役としても面白みがあるだろう。


主役ペアが整わないし、なんだか音楽的にもあまり盛り上がらないし(オケはあんなに大編成だがinspiré感に欠ける)、口元に戻ってくるようなピカリとしたメロディーもない。このくらい面白い演出がついていないと、同じプッチーニ作でもトスカなんかに比べて上演されないのは仕方ないわーと感じた。でもあれだけの大編成のオケをしっかり鳴らしながらもソリストの声がはっきり聞こえるというのはリッツィの腕前が冴えているからでしょうね。演出については次回。


PREMIER BALCON 8-21


2014/02/02

Werther / ウェルテル ⑵ @Opéra Bastille



今日はソリストとオケのズレがちょっと気になった。感情の進むままに突き進むところは突き進んで歌いたい側とメロディーにゆったりと歌わせたい側との溝とも言うべきか。
5列目中央で聴いていたが、アラーニャの声はインパクトがなくて驚いた。普通十数列目まではソリストが正面でこちらを向いて歌うとかなりのインパクトを感じるものだが、彼の声ではそれを感じないのだ。上のバルコンまでしっかり届くプロジェクション良好な声なのに、バーンとぶつかって圧倒される感覚がないのが不思議。あの声はどういう仕組みになっているのだろう?

やっぱり芝居としてはパーテールの中央部で観るのがよい。そういえば、バルコンではうるさいくらいだった水の音がここでは全く気にならない。セヴィリアの理髪師の時、パティオの噴水の音が気になるという人々がいたが私にはほとんど聞こえず不思議だったのだが、こういうわけだったのねと理解。

プラソンさんは80歳なのかー。滋味があって、枯山水的なところはなく、あくまでもみずみずしい音楽を聴かせてくれる。

2014/01/22

Werther / ウェルテル ⑴ @Opéra Bastille

上からだとこの枠がどのように進んでくるかその仕組みが見えて面白かった。


さて、観に行こうか行くまいか迷っていたウェルテル。2nd balconからオペラグラスなしで観ればリスクもあるまいと出かけてみた。
それが功を奏したのかどうかは判らないが、意外な事にアラーニャがよくて驚いた。ワタシが大変苦手とする「オレ様アラーニャ」の雰囲気がないどころか、何かこう拠り所のない霧の中をさまようような不安さのようなものを感じた。その様子が報われない愛を心に自死を選ぶウェルテルの歌唱に自然に投影されている。

そして何よりも明瞭なディクション、自然なフラゼ、字幕が全く必要ない明晰さである。これだけ明晰なフランス語で歌われると、この点ではさすがのカウフマンもアラーニャに及ばないなぁと実感。声にもう少し翳りがあるともっとウェルテルにぴったりなのに!その点カウフマンはもう声だけでウェルテルそのもの。しかし4年前の"Pourquoi me réveiller"では涙はにじんでこない…。先日カウフマンがフランスのラジオ局のインタビューで「フランス人はフランス語に難しい(厳しい)のは知ってますから」と言っていたので今後に期待したいですね!

フランス人なんだからディクションよくて当たり前かと思えばそうではなくて、例えばデエは声に丸みがあってプロジェクションもいいのに、終始モアモアーっとした歌い方。あとやっぱり彼女は立ち居振る舞いを役によってしっかり変えないとねぇ。どれもこれもみんなロジーナみたいなgarçon manquéじゃないの。
どうも演技がダメな2人…観ていて冷める。©JulienBenhamou/ONP
演技がダメなのはアラーニャも同じ。演技が歌唱の足を引っ張っているといってもよいほど。千両役者のプレゼンスがないのは致し方ないが、演技でストーリーに現実味を与えられないのでは困る。「うわー、雰囲気ぶち壊し!見たくなかった!」と幻滅したのは第2幕でアルベールとシャルロットが去った後を追うように駆け足で登場する場面。2人の後ろ姿を目にして思わず走り出してしまう焦燥感が感じられないどころか(ここ、カウフマンは巧い!)、もうピーラピラと小走りで清々しい青春映画のパロディみたいに見える。自然な動きというものがなくて、ほぼ動かないか、動くと「え?」っという感じ。そういう意味で第4幕は普通に観ていられてよい。

そして今夜の一番は、指揮のプラソンとオーケストラ!歌がなくてもメロディーだけで意味が通じるんじゃないかと感じられるほど、ストーリーと一体化している。第三幕の冒頭など、あまりの美しさにポーッとしました。
イメージで言うと広葉樹の木陰に湧く澄んだ泉のよう。陰のない明るいアラーニャの歌声とは解け合うことなく、寄り添っている感じ。

今日は恐る恐る2nd balconから観たので、次回はパーテールで観たいとおもいます、はい。

Michel Plasson  Direction musicale
Benoît Jacquot  Mise en scène
Charles Edwards  Décors
Christian Gasc  Costumes
André Diot  Lumières 
(d’après les lumières originales de Charles Edwards)

Roberto Alagna  Werther
Jean-François Lapointe Albert
Karine Deshayes  Charlotte
Hélène Guilmette  Sophie
Jean-Philippe Lafont  Le Bailli
Luca Lombardo  Schmidt
Christian Tréguier  Johann
Joao Pedre Cabral  Brühlmann

Alix Le Saux  Kätchen


Second Balcon 2 44

2014/01/03

La Traviata / ラ・トラヴィアータ @Bayerische Staatsoper, Nationaltheater


黒い壁、そこにひとつ開いたドア、敷き詰められた色とりどりの枯葉既視感ありのセノグラフィ。これはジークフリートと同時期の作品かしらー? でも雰囲気は全然違うラ・トラヴィアータなところが面白い。黒い壁にはいくつものドアがあり、第1幕のヴィオレッタ宅の一部として開けたり閉めたりして使われるのだが、ジークフリート時のようにたった1つだけ開けて使われる事も多い。また紗のように透けて見える黒いスクリーンも使われている。両者とも積極的にアヴァン・セーンをメインに使う演出に欠かせないセットの一部である。
第2幕の田舎暮らしのシーンでブランコやシーソーが現れた時には「セルバンのルチア?!」と思った。ここでは舞台全体が庭のように使われるが下手手前には壁とドア、舞台奥に紗のスクリーンがあり、登場人物がその後ろに開いた部分から出入りするようになっている。
続くフローラ宅のソワレではジプシーも闘牛士も出てこなくて、招待客(コーラス)が歌いながらカードマジックみたいなのを披露(真ん中の人は本当のマジシャンだったと思う)。舞台左方に大きなシャンデリアが下がっている。
中央少し奥に壁があり、ドアの向こうはディナーのための部屋。
この劇場は舞台脇にスペースがないので場面転換が制約され、セノグラフィ造りに工夫が必要だろうなと思う。
第3幕ではヴィオレッタが臥したベッド(マットレス)は舞台手前の端ギリギリに置かれている。少し後ろに紗の黒いスクリーンがあり、スクリーンの左の方がドア程度の大きさに切り抜かれている。カーニヴァルの人々はこの後ろからヴィオレッタに迫るし、パパジェルモンもこちら側に置かれた椅子に座り、アンニーナと医師もこちらが定位置で、ヴィオレッタとの乖離感(ヴィオレッタの孤独)を表しているように見える。スクリーンの後ろ、舞台下手にはフローラ宅に下がっていたシャンデリアが床に落ちて転がっている。

ヴィオレッタのペレスもアルフレッドのマグリも声高らかにスルスルと歌ってそこそこ演技も良いのに、何故か心に迫ってくるものがない。それどころか音楽とそれを聴きたいワタシの間に立ちはだかっているような気配を感じたりする。不思議だった。それは彼らのせいではなく、私自身ラ・トラヴィアータにそれほど惹かれる物を感じないからかもしれない。チョーフィやドゥセのパフォーマンスを素晴らしいと思って観るがメロディーや歌唱が心にスッと沁みてくる感覚はないので、おそらくそういうことだろう。

ペレスは"Sempre libera"の最後の方で声の密度が急降下して(イメージとしては乾燥麩のような声)歌いきれるか心配になったが、すぐにアントラクトに入ったのでそこでしっかりと持ち直したらしく、その後はほぼ危なげなく歌い切った。既に歌い慣れて役どころをつかんでいるように見受けられた。

アルフレッド役は最初のキャスティングではカストロノーヴォだったが、いつの間にかマグリに変更になっていたのよね。シラグーサみたいに何の引っかかりもなく陽光に輝く声がカーンと出てくるかと思うと、コルチャクみたいに力で押すような声を出すことも。ずっと力まずに歌ってくださーい。でもディクションがよく聴きやすいアルフレッドだった(やはりイタリアものはイタリア人がいいね)。

ハンプソンのパパジェルモンについた演出が面白い。アルフレッドの婚約者(候補)を連れてくるのだが、まるで自分の若い愛人を息子にくっつけたいように見えて笑える。その気がないどころか嫌がるアルフレッドと、彼に邪険に扱われて機嫌を損ねる若い女の子の間にはさまれてオロオロと右往左往する姿も面白い。ヴィオレッタの説得も手っ取り早く済ませたい様子がありありと見えるし、役者なハンプソンによく合った演出と思った。


そしてこのクレーマーの演出ではヴィオレッタは死んだかどうか明確に示されない。舞台奥に開いたドア(多分)から強い光が射していて、その光に向かって歩いて行き、途中で幕がおりる。カーセンのホフマン物語みたいね。


Musikalische Leitung  Paolo Carignani
Inszenierung  Günter Krämer
Bühne  Andreas Reinhardt
Kostüme  Carlo Diappi
Licht  Wolfgang Göbbel
Chor  Sören Eckhoff

Violetta Valéry  Ailyn Pérez
Flora Bervoix  Tara Erraught
Annina  Rachael Wilson
Alfredo Germont  Ivan Magrì
Giorgio Germont  Thomas Hampson
Gaston  Francesco Petrozzi
Baron Douphol  Christian Rieger
Marquis d'Obigny  Tareq Nazmi
Doktor Grenvil  Christoph Stephinger
Giuseppe  Matthew Grills
Ein Diener Floras  Leonard Bernad
Ein Gärtner  Rafał Pawnuk

Parkett links 1 7-9

2014/01/02

La Forza del Destino / 運命の力 @Bayerische Staatsoper, Nationaltheater

チケット入手に時間がかかったこともあって延々と楽しみにしていたハルテロス、テジエ&カウフマンの運命の力@ミュンヘン!昨日(元旦)のベルリンオペラの第九に落胆したので(ベルリンの第九は…全く響かないホール、独り熱い指揮者と始終バラーッとした印象で最後は本当にバラバラになったオケ、箱の中で歌っているように聞こえるコーラス、ヴィブラートが強すぎて乗り物酔いしそうなソプラノ、聞こえないメッゾ、スカスカ声のテノール、鬼瓦のような顔で朗々と歌うパーペ…だった)、期待がさらに増すわけです!!!


パリから来た者には「国会?マドレーヌ?」なナショナルシアター、スカラ座よりも堂々とした建物で広々としたフォワイエもあるが、何やら大味な感じ。まぁこういうコトを言うからパリの人間は嫌なヤツと思われるのだろうが、ガルニエに慣れていると他のオペラハウスはどうしても「ふうん…」になってしまう。イートインスペースは逃げ出したくなるような天井の低さで(あの部分は地下かな?)、何故あの広いフォワイエを使わないのか不思議。


プログラムを入手して、席に着く(ドアを開閉する係はいるが、席まで案内してくれる人はいない模様)。一般のロジュはなく(中央に貴賓席のようなロジュが1つとその両脇に)バルコンのみで、パーテールの中央に通路がない席の配置。真ん中辺りの席で最後にやってきたら面倒かもしれないと思ったが、ゲルマン民族は巨大なためか前列とのスペースはゆったりめ(椅子も高い!)。そしてミュンヘンのオペラの観客は席を立って待っていると前を通る時に「ダンケ」などと言いながら本当にニコニコしながらこちらを向いて通って行く。最初「アタシ顔に何かついてるのかしら?」と心配になったくらい。これはきっとパリの観客が仏頂面すぎるのよね。

日付入りのディストリビューションを見ると予定通りのキャスティング。あーハルテロス歌うワー、と安堵していたら(キャンセルがあるとしたらハルテロスだろうと思っていた)、他の色々なモノと一緒にディストリビューションと同じ紙の細長いストリップが1枚ピラ~ンと挟まっているのを発見!
私はドイツ語全然判らないが、これがカウフマンに代役のアナウンスだということはすぐに理解。
えーと、あのう…、誰なの?このテノール!!!この時のワタシ、眉間にキリキリと縦線が入っていたに違いない。ホールのライトが消えると誰かがカーテン前に出てきて喋るが「謹賀新年」しか判らないし!ONPのアナウンスよりもずっと長かったのは、代役の略歴でも話していたのかも。ちょっと!寒さをおして(いや今年の冬は暖冬だが)はるばるミュンヘンまで来たのに代役って何なの!?今日は録音もストリーミングもないからってずるい!などと心の中で悪態をついた後、ま、ONPに出演する時には堪能させてもらおうじゃないの、と思ったら案外あっさりと気持ちの折り合いがついた。

そのテジエ☆!☆!☆!今の彼はキャリアのいちばんいい時期が始まったところではないだろうか。先シーズンのエスカミリオではそういった印象は受けなかった。その彼を聴けるのは本当に幸せだ。コクのあるsuaveな声(これはsuaveとしか言いようがない)はインパクトがあるが荒いところがなく、目の前で歌われると陶然とした心持ちになる。あのニュアンスの付け方やフレージング、全て「ココ!」というところにピッタリときて、その心地よいこと!願わくば狂気じみた復讐心に燃えるカルロなどではなく、ポーザで聴きたいところだった(笑)。
そしてストリーミングを見た時も思ったけれど、彼はいつからあれだけの役者になったのだろう?!今シーズンはONPでマルチェッロとパパジェルモンにキャスティングされているのでこの調子で歌って演じてくれればいいなと思う。

そしてやっぱりハルテロスの声とプレゼンスは凄い...。背が高くて舞台映えすることもあるけれど、彼女が舞台上にいるとどうしても視線は彼女に惹き付けられる。そしてパワフルな部分、リリックな部分、メロディアスでピアニッシモな部分、全てまとめてあれだけ破綻なくきっちり歌えるんだなー、凄いなー、とただただ感心。でもやっぱり彼女はドイツ語のレペルトワールの方が好き。イタリアものはそれほどピンとこない。

あらゆるトーンの色合いと柔硬のテクスチャーを取り揃えたキャラメルのような弦、みずみずしい果物のような木管、美味しい音色のオケ(目に見えたらきっと綺麗だと思う)。金管は少し控えめですかね。指揮がメロディアスな流れを無理なく操っている感じ。コーラスはくぐもってくすんだような声がイタリアを感じさせず、ちょっと「?」。またオケから遅れ気味で軽快さがなくモッタリとした空気が漂ってしまうのもいただけない感じだった。

そして最後にトドロヴィッチ!最初に「誰?!」などと眉をひそめて申し訳なかった!舞台上のプレゼンスこそカウフマンに及ばないものの、声そのものは彼よりずっとイタリア声でビックリ。ディクションもフレージングもレガートも充分に堪能した。キャラクターの陰影のようなものは感じられなかったが(多分一生懸命で余裕がなかったのだろう)、代役でこれだけ聴かせてくれたら満足です!カーテンコールでは観客もかなりの拍手をおくっていたし、ハルテロスが「ブラヴォー☆」風にハグしていたのが印象的だった。(後から22日のカウフマンを聴いて気づいたが、トドロヴィッチに欠けていたのは弱々しいところもパワフルなところもある、あらゆる面でのヒーロー感。)

それにしてもKusej(sの上に逆さ^、何と発音するの、この名前)の演出はねぇ…。舞台写真はBSOのサイトで。
唯一セノグラフィとして美しかったのはガラガラと積まれた白い十字架。それも最初から置かれたままの木のテーブルが邪魔している。
そのずーっと置いてあるテーブルの使い方が謎。何故あの上に昇ったり降りたりしながら演技しなければならないのか皆目分からない。どうしてテーブルの上?って何回も思った。あのテーブルも何か意味があるのだろうが(解らないけど)。

父親が銃の暴発で(あの口径の銃が暴発したらあの程度の出血じゃ済まないw)倒れた際、カルロが舞台下手と父親の間を走って往復し往復の度に役者が代わって成長したように見せるのだが妙な演出。ここで成長する姿を見せないと次幕で出てくるのが彼と判らないと思ったのだろうか?そして父親の亡骸が第2幕になってもテーブルの横に横たわったままなのも謎。

第3幕のシーン、爆撃された建物を上から見た図にする必要はない。これはカーメリットの対話でピィが劇的に成功していたセノグラフィだが、ここでは何の意味もない。そしてアブグレイブの写真の再現や半裸の男に首輪をつけて犬のように引き回すなど悪趣味にも限度がある。第4幕の冒頭、リヴレではメリトーネがスープを配給するシーンはケバブの配給シーンになり、メリトーネは中身をごまかそうとまでする。宗教の対立をモチーフに妙に説教じみたというか、モラルをつきつけてくるようなところも後味が悪い。オペラにそんなことを求めてる観客なんているのだろうか?

とツイートしたら、フォロワーの方が”ドイツのとある演出家が「税金で賄える部分があるからある程度好き勝手やって実験できる」的なことを言ってました”と教えてくださった。が、実験ならば観客にチケット代を払わせず、潔く自腹を切ってやればよいのだ。チープな創造力だけでなく、200€近く支払って演出家の好き勝手な実験を見せられて戸惑う観客の事も考える想像力の方も養ってもらいたい。

私は「オペラの演出はこうでなければならない」といった信念をもってオペラを観ているわけではなく、音楽とリヴレとバランスがとれた融合感のあるもの、欲を言えば演出の意味がスッと心に入ってくるもの、が好みなだけである。観ながらこれは何?あの演技は何を意味しているの?などと疑問がわいてくるような演出はワタシには邪魔に感じられる。演出家へのインタビューなどはほとんど感心がない。演出家が自分の演出にさらに説明を加えなければならないとしたら、それは失敗作だと思っているからだ。



Musikalische Leitung  Asher Fisch
Inszenierung  Martin Kušej
Bühne  Martin Zehetgruber
Kostüme  Heidi Hackl
Licht  Reinhard Traub
Produktionsdramaturgie  Benedikt Stampfli, Olaf A. Schmitt.
Chöre Sören  Eckhoff

Il Marchese di Calatrava / Padre Guardiano  Vitalij Kowaljow
Donna Leonora  Anja Harteros
Don Carlo di Vargas  Ludovic Tézier
Don Alvaro  Zoran Todorovich
Preziosilla  Nadia Krasteva
Fra Melitone  Renato Girolami
Curra  Heike Grötzinger
Un alcade  Christian Rieger
Mastro Trabuco  Francesco Petrozzi
Un chirurgo  Rafał Pawnuk

Parkett links 2 43-45