派手さはないけれど、なんという優しさに満ちたマダムバタフライの音楽!!!オーケストラbyカッレガーリの音楽だけでも陶酔できる。
この夜の公演の何が良かったかと言えば、ソリストのひとりひとりのパフォーマンスがよく、また彼らのバランスが絶妙だったこと、それらすべてを時に熱くまた優しく、あるいは微風のように心情的に腕に抱くようなオケとの融合感。パズルのピースがそれぞれピタリとはまった時のような完成度があった。
これで演出とセノグラフィがコテコテだと頭が爆発したり消化不良になったりするところだが、ウィルソンの様式化された演出がスッキリと見せてくれるので、音楽、歌唱、セノグラフィそれぞれの印象が長く心に残る。
蝶々さん役のヴァシレワ、あの小柄細めの身体のどこからあのパワフルな歌唱が…と驚嘆。第1幕では表情も歌い方も本当に15歳くらいの少女に見えるが、2幕3幕になると顔つきも声の迫力も変わって行く。声そのものに感情のニュアンスが合って歌詞を知らない観客も泣かせられるソリストだと思う。
ONPに初登場のILINCAI(イリンカイと読むのかしら)、もう彼はピンカートンにピッタリでw。明るくて思慮浅く自己中心的なキャラクターそのものの声(とルックス)。それほど密度はないけれどクリアな声、パーンとしたプロジェクションと響きのよさ、他の役でも聴いてみたい。
シャープレスのヴィヴィアーニ、ピンカートンとの対比がピッタリ。思慮深く、周囲に気を配る思いやりもある。そのキャラクターにあった信頼感のある声もとても心地よい。少し気弱な印象を受けるのは演出のせいか、それとも控えめな声のプロジェクションのせいか…?
スズキ役の演出が非常に良いと思う。出しゃばらず心配性で蝶々さんへの愛情がこもっている。それをOncioiuがそれはもう巧みに演じている。歌唱も役柄に合った声色なので彼女の思いがすんなりと理解できる。彼女は舞台の中央辺りにいることが多いが、上のバルコンではどう聞こえただろう?
やっぱりウィルソンの演出。また20年後に観ても全く古さを感じさせないだろう。セノグラフィはシンプルの極地、コレグラフィはウィルソンと度々コラボしている花柳寿々紫で、登場人物の動きは様式化されている。ソリストはかなりの稽古が必要だったのでは。袖をたたむ仕草などとても美しい。極度に簡素化され光によってガラリと印象を変えるセノグラフィ、様式化された立ち居振る舞い、ウィルソンが表そうとした蝶々さんの生きていた日本のイメージがここにあるのかなと思う。
この演出が他と違うのが第2幕の終わりから第3幕の初めにかけて。普通スズキと息子は眠ってしまうが、この演出では息子は眠らず(何か紙の人形のようなものを置くので夢の中を表しているのかも…)舞台を回りながら時々何かをつまんで口に入れる仕草。母の元に戻り、それを1つ1つ口から出しつつ母の手のひらに置く。これが何を意味するのかは謎。普段はこういう意味が解明できない演出は好まないが、この場合最初から最後までスタイル化されているので幸いな事に気にならなかった。
この部分の音楽が素晴らしくて幻想的なシーンと相まって文字通りtransportéeな心持ちになる。が、今正気に戻って振り返ってみるに、カッレガーリも自らメロディーを歌いつつかなり陶酔してたのでオケはついていくのが大変だったのでは…。
DANIELE CALLEGARI Direction musicale
ROBERT WILSON Mise en scène et lumières
GIUSEPPE FRIGENI Co-metteur en scène
MARINA FRIGENI Collaboration à la mise en scène
FRIDA PARMEGGIANI Costumes
HENRICH BRUNKE & ROBERT WILSON Lumières
SUZUSHI HANAYAGI Chorégraphie
HOLM KELLER Dramaturgie
SVETRA VASSILEVA Cio-Cio San
CORNELIA ONCIOIU Suzuki
TEODOR ILINCAI F.B. Pinkerton
GABRIELE VIVIANI Sharpless
CARLO BOSI Goro
FLORIAN SEMPEY Principe Yamadori
PARTERRE 3-13
お隣の席には「世界中を遊びあるってるのよ」とおっしゃる83歳の元気なおじいさま。「これね、昔からいくつも観てるけどね、いいねぇ、この演出。動きが能の動きだねぇ。本当にいいねぇ。年末にドレスデンで観たのよりずっといいよ!」とおっしゃっていました。