2013−2014シーズンはルチアで幕開け
チョーフィの、ルチアに乗り移られたような、ルチア。おそらく彼女自身歌い終わった後で我に返り、観客の反応で自分のパフォーマンスに思い至ったのではないか。先シーズンのフロレスに匹敵する、いやおそらくそれを超えた観客の熱狂ぶりだった。
アリアの後の場が終わった所でカーテンコールに出てきたチョーフィ、レヴェランスの後にストンと倒れるように踞って泣いてた。非常に敏感な神経の持ち主で、たった今歌い演じたルチアに感化されているのだろう。公演後は心身ともに消耗しているのだろうなぁ…。
確かに声に豊かな肉付きはない。届く声ではあるがプロジェクションも弱め。でもベルカンティストとしての声の色の美しさやその声をしなやかにメロディーにのせる技、そして何よりもルチアの感情が内面から放出されるような歌唱に完全に魅了された。明日からCFの舞台に立てるようなバランスの取れた的確な演技にも驚かされた。
テジエはもうエンリコそのもので、やはり彼は屈折したところのある役の方が魅力がある。この演出では演技的に高レベルなものを要求されないことも幸いしただろう。声の安定感や陰影のつけ方、メリハリのある歌唱など、これだけのレベルで安心して聴ける歌い手もなかなかいない。
グリゴーロも彼らしく(エドガルドらしい、ということではなく)、力一杯歌い演じていたけれど、何と言うのかこう声を張り上げ過ぎだったり演技がオーバーだったりして気になった。ピアノは大事に歌いすぎるせいかわざとらしく聞こえるし(ピアニシモ、メゾピアノ~メゾフォルテは存在しないようだ)、フォルテは完全にフォルティッシモになってしまい、長いアリアでは白けてくる。そして重唱の時など他のソリストとのバランスが大変に良くない。もっとインテリジェンスのある歌唱と演技ができる人だと思っていたのだが、思い違いだろうか…?
ライモンド役はラ・ジョコンダでアルヴィーゼだったあのアナスタソフ。役柄にピタリと合ったスタイルと厳粛な雰囲気の声、ブレのない演技を観て彼はアルヴィーゼのような役よりもライモンドのような感情抑えめの役の方がニンにあうのだと理解。
初日ということもあってか、コーラスが少し遅れ気味なところがあったり、ソリストの融合感や全体的な調和感にいまひとつなところがあったけれど、これから熟成していくだろうし、あのチョーフィのパフォーマンスの前には些細なことで、それを堪能できただけで幸せである。
セルバンの演出は陰鬱なグレーのセノグラフィーとともに一見したところ意味不明なのだが、巨大な鋼鉄(と木?)のストラクチャーが歪んでしまうことで「あぁルチアは壊れてしまった」と視覚的に表すところなど上手いなぁと思う。また軍隊や体操といった動かしがたく規律の厳しいブリュットな男性社会に場面を設定し、対してブランコや平行棒などでルチアの揺れ動くフェミニテとフラジリテを際立たせているなど、後々反芻してみるとなるほどそうかと思わされる。高見の見物をしている人々が表すものは何なかなど、判らない部分も残るけれど…。
LUCIA DI LAMMERMOOR
MAURIZIO BENINI Direction musicale
ANDREI SERBAN Mise en scène et lumière
WILLIAM DUDLEY Décors et costumes
ALESSANDRO DI STEFANO Chef de choeur
LUDOVIC TÉZIER Enrico Ashton
PATRIZIA CIOFI Lucia
VITTORIO GRIGOLO Edgardo di Ravenswood
ALFREDO NIGRO Arturo Bucklaw
ORLIN ANASTASSOV Raimondo Bidebent
CORNELIA ONCIOIU Alisa
ERIC HUCHET Normanno
PARTERRE 10 9-11