2013/09/28

Alceste / アルセスト @ Palais Garnier



グルックがこの音楽で何をしたかったか理解することはできなかったが、ミンコフスキーの指揮するオーケストラのアンサンブルが緻密でしなやかな、時に絹、時にカシミア、時にサテンといったような様々なテクスチャーの音を堪能した。
開演前に「本日ソフィー・コシュとヤン・ブーロンは不調ですが、2人とも舞台に立つことを了承してくれました」というアナウンスがあり、結果としてはやはり2人とも不調だった感は否めない。
ミンコフスキーが非常によく気をつけてソリストを助けていたので破綻せずにすんだが、何と言うかこう考え考えコントロールして歌っているようで伸びやかさがなく、聴いている方は安心して音楽に身を投じることができない。おまけに演技がとってつけたようで印象を更に悪化。

フランク・フェラーリ演じるエルキュールがマジシャンなのも安っぽい。棒から造花の花束出したり、上着からコロンブ(本物)出したり、アルセストが戻って来る時にはキラキラ光る粉を撒いたり。ドゥルカマーラじゃないんだから…!ザルツブルグのデュモーを観た時にも思ったが、演技力のあるソリストに悪趣味な演技をつけられると、どこをどのようにアプリシエートしたらよいのか本当に困る。

よかったのがアポロン、エヴァンドル、コリフェソプラノ、コリフェアルトの4人!声質がちがうのにアンサンブルとしての混ざり具合がよくオケの音にすんなりと乗り、ソロで歌う時はそれぞれ際立っている。特にコリフェソプラノの声は天使の声とよびたくなるような声で、特にピアニシモは天に繋がる細い金の鎖のように美しかった。


演出は…左右に開く巨大な黒板に絵を描いたり消したりする人々に気を取られてしまうことと、それが梯子と一緒に(私が感じるには)不必要に絶えず開いたり閉じたりするので煩わしい。第2部でピットを地獄として使いたいためにオケを舞台に上げるというのも、簡単過ぎる気がする…。
あの蛍光灯がまぶしくて目が眩んだ。日本のスーパーやドラッグストアもそうだけれど、明るすぎて眉間がクァーンとして不快になる。
「死の床」風な白い病院のベッドのようなのも何とも微妙な感じ。白いロングドレスに黒いダブルのロングコートというのも見飽きた衣裳だ。他の衣裳もいたって普通で代わり映えしないもの。「死」を表す黒い衣裳を着て踊る人もどこかのタンホイザーの演出で出てきたダンサーを思わせた。こちらは1人だけで衣裳は長いスカートになっていたけれども。
ということで、アイーダの演出がどんなものに仕上がっているのか、不安が増す…。

Marc Minkowski
Direction musicale
Olivier Py
Mise en scène
Pierre-André Weitz
Décors et costumes
Bertrand Killy
Lumières
Yann Beuron Admète
Sophie Koch Alceste
Jean-François Lapointe Le Grand Prêtre d’Apollon
Stanislas de Barbeyrac Evandre / soli ténor
Florian Sempey Un Hérault d’armes, Apollon
Franck Ferrari Hercule
Marie-Adeline Henry Coryphée / soli soprano
François Lis L’Oracle, Un Dieu infernal
Bertrand Dazin  Soli alto


Choeur et Orchestre des musiciens du Louvre Grenoble


PARTERRE 342-344

ガルニエの上で竪琴を掲げているのがアポロンだと知る人と知らない人の割合はどのくらいのものだろうか?



2013/09/10

Lucia di Lammermoor / ランメルモールのルチア ⑵ @Opéra Bastille

ストのためセットなしでの公演

パワーアップしてバランスのとれたBキャストだった。
ヨンチェヴァの瑞々しく力強い声がバスティーユの空間を満たす。声に幅と深みがあり、聞き応え抜群。しかし、しかし…活き活きしていてルチアの薄幸感というか、脆さが微塵も感じられない。そして最初から最後まで何かにチャレンジしているようで不自然な感じがしてしまうのは若さ故か…。声だけ聴いていると艶やかないい声なので、ルチアよりはエルヴィーラの方が合うのではないだろうか。あるいはジルダとか…。あと最初から最後まで元気がありすぎて不自然なルチアになってしまっている。彼女の声は自身のキャラクターも合わせて健康的な魅力があるので、精神に異状を来して死ぬ役には合わないなぁと感じた。

ペテアン、よく通るベルカント向きな声ですべての音域でコントロールの利いた巧い歌唱。悪人顔も役にピッタリである(笑)。役者としてはおそらくテジエより上手と見た。
ファビアノは今日の敢闘賞。初日のグリゴーロと比べて遜色ないどころか、カーンと突き抜けるようなプロジェクションと無理のない高音(所々フロレス的な輝きが感じられる!)、ぼやけない中音域、そして”ファビアノ”ではなく”エドガルド”であった(これすごく大事だと思う)。チョーフィとのペアで観てみたかった。

この日の公演はストの影響を受けてセットもライティング効果もなく、衣装と小芝居付きのコンサートバージョン。セットやほぼ小道具なしのソリストはもちろん苦労しただろうし、コーラスは歌わない時は椅子に腰掛けていたものの、最初から最後まで舞台上にいたので大変だっただろうなぁ…。
第1部第2部通して舞台上にあったのは、鉄製肘掛け椅子(実際の舞台で使われるもの)1脚とその両脇にコーラスの人々が座っているのと同じ椅子が2脚。2部では木の切り株と斧も置かれるがほとんど使われず。たったこれだけの小道具で準備の時間もそれほどなかっただろうに、想像力を働かせて演じてくれたソリストたちの熱意に心からの拍手をおくった。


George Petean / Enrico Ashton
Sonya Yoncheva / Lucia
Michael Fabiano / Edgardo di Ravenswood
Alfredo Nigro / Arturo Bucklaw
Orlin Anastassov / Raimondo Bidebent
Cornelia Oncioiu / Alisa
Eric Huchet / Normanno 

PARTERRE 15-29

2013/09/07

Lucia di Lammermoor / ランメルモールのルチア ⑴ @Opéra Bastille

2013−2014シーズンはルチアで幕開け


チョーフィの、ルチアに乗り移られたような、ルチア。おそらく彼女自身歌い終わった後で我に返り、観客の反応で自分のパフォーマンスに思い至ったのではないか。先シーズンのフロレスに匹敵する、いやおそらくそれを超えた観客の熱狂ぶりだった。
アリアの後の場が終わった所でカーテンコールに出てきたチョーフィ、レヴェランスの後にストンと倒れるように踞って泣いてた。非常に敏感な神経の持ち主で、たった今歌い演じたルチアに感化されているのだろう。公演後は心身ともに消耗しているのだろうなぁ…。
確かに声に豊かな肉付きはない。届く声ではあるがプロジェクションも弱め。でもベルカンティストとしての声の色の美しさやその声をしなやかにメロディーにのせる技、そして何よりもルチアの感情が内面から放出されるような歌唱に完全に魅了された。明日からCFの舞台に立てるようなバランスの取れた的確な演技にも驚かされた。
テジエはもうエンリコそのもので、やはり彼は屈折したところのある役の方が魅力がある。この演出では演技的に高レベルなものを要求されないことも幸いしただろう。声の安定感や陰影のつけ方、メリハリのある歌唱など、これだけのレベルで安心して聴ける歌い手もなかなかいない。
グリゴーロも彼らしく(エドガルドらしい、ということではなく)、力一杯歌い演じていたけれど、何と言うのかこう声を張り上げ過ぎだったり演技がオーバーだったりして気になった。ピアノは大事に歌いすぎるせいかわざとらしく聞こえるし(ピアニシモ、メゾピアノ~メゾフォルテは存在しないようだ)、フォルテは完全にフォルティッシモになってしまい、長いアリアでは白けてくる。そして重唱の時など他のソリストとのバランスが大変に良くない。もっとインテリジェンスのある歌唱と演技ができる人だと思っていたのだが、思い違いだろうか…?
ライモンド役はラ・ジョコンダでアルヴィーゼだったあのアナスタソフ。役柄にピタリと合ったスタイルと厳粛な雰囲気の声、ブレのない演技を観て彼はアルヴィーゼのような役よりもライモンドのような感情抑えめの役の方がニンにあうのだと理解。
初日ということもあってか、コーラスが少し遅れ気味なところがあったり、ソリストの融合感や全体的な調和感にいまひとつなところがあったけれど、これから熟成していくだろうし、あのチョーフィのパフォーマンスの前には些細なことで、それを堪能できただけで幸せである。
セルバンの演出は陰鬱なグレーのセノグラフィーとともに一見したところ意味不明なのだが、巨大な鋼鉄(と木?)のストラクチャーが歪んでしまうことで「あぁルチアは壊れてしまった」と視覚的に表すところなど上手いなぁと思う。また軍隊や体操といった動かしがたく規律の厳しいブリュットな男性社会に場面を設定し、対してブランコや平行棒などでルチアの揺れ動くフェミニテとフラジリテを際立たせているなど、後々反芻してみるとなるほどそうかと思わされる。高見の見物をしている人々が表すものは何なかなど、判らない部分も残るけれど…。

LUCIA DI LAMMERMOOR
MAURIZIO BENINI  Direction musicale
ANDREI SERBAN  Mise en scène et lumière
WILLIAM DUDLEY  Décors et costumes
ALESSANDRO DI STEFANO  Chef de choeur

LUDOVIC TÉZIER  Enrico Ashton
PATRIZIA CIOFI  Lucia
VITTORIO GRIGOLO  Edgardo di Ravenswood
ALFREDO NIGRO  Arturo Bucklaw
ORLIN ANASTASSOV  Raimondo Bidebent
CORNELIA ONCIOIU  Alisa
ERIC HUCHET Normanno


PARTERRE 10 9-11