2015/04/12

Parsifal / パルジファル @ Staatsoper im Schiller Theater

去年のウィーンで観たミーリッツ演出のパルジファルで呪いをかけられた気分になり、この呪いを解けるのは別プロダクションのパルジファルしかない!と思い発売初日に全然進まないサイトにイライラしながらチケットを入手。以来この日を救済の日とばかりに待ち望んでいたベルリン(シラー劇場)の新プロダクション。

結果から言ってしまうと、最後の最後で演出的には救われなかったけれど音楽的にはほぼ完璧に満たされて感動に浸り、気がつけばミーリッツの呪いは解けていた。演出と舞台セット担当のチェルニアコフ、バレンボイムと彼の率いるオーケストラ、ソリスト、コーラスが観客に提示したいものが一本の奔流となって押し寄せてくる感覚というのは滅多に受け取れるものではなく、このプロダクションをこの状態で観るチャンスを得たことに感謝したい気持ちにさえなった。

パルジファルのアンドレアス・シャガー、初日にネットラジオで聴いた時にまずその熱演ぶりが手に取るように伝わってきて去年の歌い流しボータとは大違いだなーと感心していた。
しかし一方ビブラートが強く聞こえたので少し懸念していたけれど、実際に聴くとあのシラー劇場のまったく響かない音響のためかほとんど気にならない。ただロールデビューで力が入っているのかいつもこのように歌うのか判らないが、ブツブツ切るように歌うことがある。伸びのあるよい質感の声なのだからもったいない。グルネマンツのパーペと比べてここが大きく異なる点。
しかし最後までまったくパワーが落ちず、テンションも切れないのがすごい!
パルジファルが登場すると舞台の空気が変わる。音楽がパルジファルのテーマで雰囲気をガラリと変えるが、彼が舞台に出てきて”Gewiß! Im Fluge treff’ ich, was fliegt.”と歌った途端に空気の密度が増して硬質になり舞台上のテンションが高まる。
(悪趣味な)Tシャツにショートパンツ、フード付きパーカーを腰に巻いてバックパックを背負った姿でも「彼だ!」と瞬時に納得できる声があるのだ。
ここで彼は観客の心をしっかりと捉えて最後まで離さない。これはチェルニアコフがパルジファルに与えているキャラクターとシャガーの声質と役作りが合致しているから。
第二幕のクンドリの昔語りを聞いての混乱、そして知の覚醒と苦悩(物語のターニングポイントになるこの部分はこういう風にきっちりと見せて欲しい!)、第三幕での演出による微妙な立ち位置をすべて的確に表現していて、芝居好きには嬉しかった。

クンドリのアニヤ・カンペ、初日の第二幕でひょっとしてギリギリで彼女には向かない役なんじゃないかと不安だったが、あの時は風邪か何かで不調だったらしい。この日は素晴らしいクンドリを聴かせて(そして見せて)くれた。声にツヤがあり、高音域で少し硬めになるものの愛を感じさせる声でアンビヴァレントなクンドリのキャラクターに1本筋が通るのがいいなと思う。チェルニアコフはクンドリに興味深い一面を与えていてそれが彼女の声とルックスによく合って相乗効果が感じられた(これは他のソプラノが歌い演じてどうなるか…)。この夏のバイロイトでイゾルデを歌う彼女、この愛を感じさせる声がイゾルデにうってつけではないかと今から楽しみで仕方がない。

グルネマンツのパーペ、第一幕でなんだかショボショボしている。でも声はネットだし正面で歌われるとパーンと迫力がある。大きなアーチを描くようなフラゼは言葉を美しくメロディーにのせる。モノトーンに陥ると聞いている方は飽きがくる昔話の部分もきちんとメリハリをつけて聴かせるし、これはこういう演技がついているのかしらとちょっと不思議に思っていたが、第三幕が始まる前、カーテン前に人が出てきた。やっぱりパーペが具合悪くなって歌わないのかな?と思ったが、不調だけれど歌うというアナウンスだった。
第三幕だってクンドリとはわけが違うのに大丈夫?と不安だったが(スカラのワルキューレでヴォータンを歌った時のことが頭をよぎった…)聴かせるべきところはビシッと聴かせ演じるべきところはしっかり演じ(洗礼シーンの感動は演技とは思えないくらい真に迫っていた)、不調でこれだけ聴かせてくれたらもう御の字です、言われなかったらそういう演技だと思ってました、という感じ。でもシャーガーやカンペに比べると精彩を欠いていたかな、やっぱり。

去年のこの時期、ウィーンのローエングリンでテルラムント役だったコッホがアンフォルタス。うーん、テルラムントの方が良かった。演技は的確だし歌唱も悪くないのだけれど(歌唱は去年のゲルネが良かったから比べてしまうとちょっと分が悪い)、いまひとつそこを乗り越えて迫ってくる何かが足りなかった気がする。METのマッテイなんて映像で観ているだけでも後悔と苦悩の念が溢れ出してくるように感じるのに。でもそれはこの演出がアンフォルタスをどうにも気の毒な役所に設定しているので仕方ないか…。クンドリの色香に迷った心に潜む色気みたいなものが感じられると役に深みが増したかもしれない。

バレンボイムの指揮するオケの演奏でいちばん印象的なのは舞台の色合いとマッチした少し暗めの音色。暗めとは言っても濁りがないので第二幕の明るさにも無理なく寄り添える。

バレンボイムはピットの客席側に覆いをとりつけ、ホールのライトが消えると暗がりの中で前奏曲が始まる。プルミエールの時と同じくとてもスローテンポだったが、その場で聴いていると作品が徐々に目覚めていく過程のように感じられる。ストーリーが始まると無理なくギアアップして軌道にのっていく。

音楽の流れを大事にしつつ、テンポをキュッと上げて緊張感をつけたりゆっくりな部分では上昇感のある音作りにしたりとテンションが下手に緩まない。また休符のいれ方などはジョルダンは彼の弟子だったなと思わせるところが。パーテールの3列目だったせいかソリストの声はかなりよく聞こえていたがそれでも時々オケの音が壁になることがあった(ここら辺もあてはまるジョルダン)。


オペラを観たその感動、あるいはよい意味でのショックや動揺のためにそのあと他のものを観たり聴いたりするキャパシティを失ってしまったような気持ちになることがある。最近それを感じたのは去年のトリスタンとイゾルデで、もう1年経っていることになるから私にとっては頻繁に起きる現象ではない。今回のベルリンのパルジファルの後、久しぶりにそれを感じた。これは大切な宝物として私が死ぬ前に開くであろう例の思い出のアルバムに大きな場所を占めることになる。


シラー劇場の壁に貼り出されているキャスト表はA4サイズのいたって簡素なもの。記念にもらえるかしらと思って案内係のお嬢さんに尋ねると、あれは差し上げられませんが、キャスト表は売店で売っていますよ、とのこと。ふうんそうか、残念、と思いつつコカゼロを飲んでいるとそのお嬢さんがやってきて「あれは差し上げるものではないんですが、終演後に人が少なくなったら取り外してお渡しできます」と言ってくれた。このお嬢さん可愛らしいだけじゃなくなんて親切なの!
終演後その紙を渡してくれながら彼女は「入口のところでサインを貰えますよ」と言う。誰のサインかと聞いたら主役の人、という。私は出待ちにもサイン会にも興味のない方だが日付入りのキャスト表にロールデビューのパルジファルのサインがあったらいいじゃない、と思って入口の方に向かうと、確かにテーブルがあって人が十数人並んでいる。私たちの後ろには5人もいなかったから総勢たったの20名くらい(まったく宣伝してなかった様子がありありと!)。
あっという間に元気にやってきたシャガー(まったく疲れの色が見えない不思議)、キャスト表にサインしながら「どちらからいらっしゃいました?」と聞くので「パリからです。パリにはいらっしゃらないんですか?」と尋ね返した。すると笑顔で「パリ、行きますよ!」「え、いつ?!」「18年にパルジファルで」とのこと。リスネーチーム、先見の明あっていいパルジファルを見つけましたね。彼の良さを最大限に引き出せる演出をお願いします。


Musikalische Leitung   Daniel Barenboim

Inszenierung   Dmitri Tcherniakov
Bühnenbild   Dmitri Tcherniakov
Kostüme   Elena Zaytseva
Licht   Gleb Filshtinsky
Chöre   Martin Wright
Dramaturgie   Jens Schroth

Amfortas   Wolfgang Koch

Gurnemanz   René Pape
Parsifal   Andreas Schager
Klingsor   Thomas Tomasson
Kundry   Anja Kampe


Parkett links 3 11-12