2013/11/30

La Clemenza di Tito / La Clémence de Titus / 皇帝ティートの慈悲 @ Palais Garnier


コジとはやはり違った世界のモーツァルトを素敵に表現していた指揮&オケ(軽やかな弦はもちろん、木管がハッとするほど美しく歌っていた!)を除いて、あまり面白くない舞台だった。
スタイリッシュなセノグラフィを含めた演出をソリスト達が理解しないまま舞台に立っているように見える。あるいは演出自体が難解なことにともなうレペティション不足でこうなってしまったのか…。コーラスの演技に違和感はないが、ソリスト達の動きはバラバラで意味がないように感じられるし、最初の方は歌唱もそれぞれが勝手に自分のパートを歌っているようで全く統一感がなかった。
これがそれぞれのリサイタルだとして、ひとつ1つの歌唱を取り出してみれば良いものだろうに(始終音が少しずつずれていたようなアンニオ役は除いて)作品としてのまとまりが感じられないのは残念。やあっぱり演出の問題かなぁ

セスト役のドゥストラックは熱意が伝わってきて悪くなかったのだけれど「エクスのコノリー、良かったのよねー(彼女はルックスもカッコ良かったし!)」という意識を払拭するには至らず。
意外だったのが(と言っては全く失礼だが)ティートのピルグ。明るくかつ暖かみもある声で若く素直な(まだ政治の駆け引きなど知らないような)皇帝を無理なく歌い演じていた。他の役でも聴いてみたい歌い手。

それからあの大理石に見立てた巨大な角柱が徐々に頭部になっていく様子。あの茶色い厚紙でできたような王冠、斜めにしつらえられた舞台、これらも謎だった。エクスのティートはまた観たいと思うが(ティートはクンデではなくピルグでお願いします)このプロダクションはそう思わないなぁ。

TOMAS NETOPIL  Direction musicale
WILLY DECKER  Mise en scène
JOHN MACFARLANE  Décors et costumes
HANS TOELSTEDE Lumières

SAIMIR PIRGU  Tito Vespasiano
TAMAR IVERI  Vitellia
MARIA SAVASTANO  Servilia
STÉPHANIE D'OUSTRAC  Sesto
HANNAH ESTHER MINUTILLO  Annio
BALINT SZABO  Publio

BALCON 180-182

2013/11/25

I Puritani / Les Puritains / 清教徒 =Première=


意外な事にONPでの公演は1987年以来2回目という清教徒を、ペリーのチームがどのような作品に作り上げたか楽しみな新プロダクションの初日。
金属の棒だけで作られた、まるでサインペンと定規で三次元に描かれた分割可能な城と室内の壁がシーンによって使い分けられる。それ以外の舞台セットは何一つない極シンプルなセノグラフィだが、城自体が回転することと(ピィのトロヴァトーレは「回り過ぎ!」に見えたが、この城は線だけなのでその印象はほとんどない)、ライティングとホリゾントに映る映像で印象を変える美しいオブジェである。
またエルヴィーラを閉じ込める籠に見えるように意図されているのだろう。そのちょっと古くさく見えるようなところまでも含めあらゆる面で成功していた連隊の娘よりも、個人的にはシンプルで洗練されている今回のセノグラフィの方が好みである。

その(敢えて言えば)空っぽな舞台を埋めるのがソリストのプレゼンスとコーラスの人々である。宮廷の人々や兵士たちにはまるで機械仕掛けの人形のような動きがつけられていて、特に円錐状のスカートをはいた女性達はまるで舞台上を滑るように動くのが不思議で、全体的にコミックな雰囲気を漂わせていて面白かった。
コーラスの歌唱は…可もなく不可もなくというか、つかみどころのないもので印象が薄い。アイーダであれだけドラマチックだったのに、これは準備不足かそれともレペルトワールとして苦手ということだろうか?もう少し回が進んで改善されるといいのだけれど。

さてソリスト陣、楽しみにしていたエルヴィーラ役のアグレスタ嬢は意外にもそれほど良さを感じなかった。ディクションは明瞭、声の色合いも幅も豊かでプロジェクションもそこそこ良いのに、昨夜は最高音が狙ったところをほぼ全て外れていたし、コロラチューラも硬くて滑り気味になり、それをコントロールしようとして自然さに欠けていた。
発狂する前にそれが顕著で、その後は高音のボリュームを絞って歌いやすいように調整していたようだが、不自然な感じは拭いきれない。高音は彼女の得意ではないのだろうか。中音域の上半分ではつややかな歌声を聴かせてくれるのに…(ウルマナと似ているわね、ここら辺)。
最後のカヴァレッタがなくて「あれ?これでお終い?」という感じになってしまうのが少し残念だった。

エルヴィーラのフィアンセ、アルチューロ役はコルチャク。
最初のアリアは緊張からか声は大きいもののレガートはブツ切り!ベルカントの美しさからは程遠い歌唱で、この先どんなコトになるのかと心配したけれど、以降は調子を戻してきて一安心。先日ガルニエでコジのフェランドを歌った時には鼓膜が破れるかと辟易させられたが、やはり彼の声はバスティーユサイズだ。去年TCEで聴いた時に比べると、場面に応じて少々ニュアンスがついているかなー…という印象を受けたが、やはりパワーに任せた一本調子で朗々と歌いすぎる。正義感あふれる直情型のアルチューロにピッタリはまって効果的なこともあるが、そのうち飽きてくるのだ、こういう歌唱は(全長3分のナポリ歌謡ならいいと思うけど…w)。
そしてデュエットの相性は声の印象だけで言うならTCEでのペレチャツコとのデュエットの方が私は好みだ。あるいはヨンチェヴァ。

エルヴィーラのアグレスタより期待していたのはリッカルドのクヴィエチェン。「うん、君の心情は本当に手に取るようによく解るよ」と話しかけたくなるパフォーマンス。巧いなー…。ディクション良く、滑らかなレガート、役にピッタリの深みのある声とそのニュアンス、ルックスに似合わず繊細で役に酔わずきっちりと歌い上げるところなど、充分に楽しませてもらった。
しかしながら…真面目な一刻もののリッカルド一辺倒なので、アルチューロとエンリケッタを逃がす際「此奴が王女を連れて逃げて消えればエルヴィーラはオレのものさ、フフフ」などと考えているようには見えず、役者としてはいまひとつだったな、という感があり、次回はどうなってくるかまた楽しみ。

そして昨夜のベストパフォーマンスはジョルジオ役のペルトゥージ!
まず歌唱的にほぼ非の打ち所がなく(ほぼ、というのはもしかしたら上のバルコンでは聞きづらかったかもしれないというプロジェクションの問題)、その歌唱でノーブルかつ姪を思いやる心を存分に表現している。そのたたずまいや動きもまた良く、歌唱に説得力が加わる。

このリッカルドとジョルジオのデュエットがいちばん素晴らしく、聞き応え抜群。バランスはジョルジオの方に傾いていたような気がするが、リッカルドもよく頑張っていた。ヴェルディがカルロとロドリーゴに歌わせる前に、ベッリーニがこの2人に “Bello è affrontar la morte  Gridando: libertà!” と歌わせていたとは、昨夜の新発見(笑)。


MICHELE MARIOTTI  Direction Musicale
LAURENT PELLY  Mise en scène et costumes
CHANTAL THOMAS  Décors
JEAN-JACQUES DELMOTTE  Collaboration aux costumes
JOËL ADAM  Lumières

MARIA AGRESTA  Elvira
DMITRI KORCHAK  Lord Arturo Talbot
MARIUSZ KWIECIEN  Sir Riccardo Forth
MICHELE PERTUSI  Sir Giorgio
LUCA LOMBARDO  Sir Bruno Roberton
ANDREEA SOARE  Enrichetta di Francia

WOJTEK SMILEK  Lord Gualtiero Valton

2013/11/02

AIDA / アイーダ ⑶ @ Opéra Bastille

Bキャストを観て少なからず不満が残り(AB各1公演しか席を手配していなかったので)「これで終了するわけにはいかないワ」と息まいたものの私が行ける日はすべてソールドアウト。なかなか戻りチケットもなかったが何とか手に入った今日のAキャストの公演。

前回のスミスの代役氏とボチャロヴァの記憶を払拭してもらいたかった2人、アルヴァレスとディンティーノ。
まずアルヴァレスは続けてキャンセルしたスミスの代役で歌ったというので(なんて贅沢な代役)相当調子がいいのかと思ったが、それほどでもなく…。Celeste Aidaなどはジョルダンがカゴの中の卵のように大事に支えていたように見え、軽い風邪でもひいているのかしらと思ったくらいには元気がない印象を受けた。開演前に例の「◯◯氏は不調ですが…」があっても不思議ではなかった。
それでも彼独特の帆に風をうけて大海原に出帆していくようなメロディアスな歌唱、これは聴いていて爽快感があるし、丁寧に歌っているので(元気がよすぎてうっかり秘密をもらしてしまって”アチャー!”というラダメスではなく)誠実でおちついたラダメスを観ることができた。

ディンティーノはおそらく絶頂期を過ぎていると思わざるを得ない声だけれど、そのフレージングとディクション、オケが紡ぎだす音楽への歌唱ののせ方は他のソリストから抜きん出ていると感じる。そしてなんと言っても舞台上の彼女は叶う望みのない恋に翻弄されて苦しむ王女アムネリスそのものなのだ。
ラダメスの裁判のシーン(舞台裏でのラムフィスとコーラスの歌唱、これがまた見えない所からゴゴゴーとせり出してくるかの如くで素晴らしい!)では無力感と焦燥感に打ち拉がれる様子が真に迫っている。役者だワー…。
最後の "Pace t'implore, ... pace, pace ... pace!" は彼女のすぐ下で高らかに歌っているアイーダとラダメスの存在を霞ませるほどの深みのある祈りのこもった声(決して大声ではない)とプレゼンス。今思い出しても背中がゾクゾクするようなこの部分だけでも観て聴く価値があるというものです!と言うより、実はココを観て聴きたかったと言っても過言ではないかもしれない。