2019/05/04

Götterdämmerung / 神々の黄昏


神々の黄昏、ノルンはまさにパルクのように演出されていて(どうせなら糸巻きや鋏を持たせればよかった)過去を語るノルンの原始を思わせる響きの歌唱が素晴らしかった。
演出はこのリング全体を通してとても分かりやすい。初めてリング観る人にも難しくないと思う。でもヴィースバーデンのジークリンデの服を抱きしめて息絶えるジークフリートや、パリの"Zurück vom Ring!"を叫ぶのがアルベリヒで最後にノルンに槍で殺されるという演出などを観てしまった後だとやっぱり物足りない。最後のヴァルハラ炎上で石像が倒れるとか、ブリュンヒルデがグラーネを引いて歩いて火に入るとか(それもグラーネは歩けないのでフィギュラン2人がかりで押してる)ちょっとアレだった。ラインの三姉妹も水中じゃないから仕方ないけれど、黒いカエルみたいだったし...
3人のノルンとヴァルトラウテ(右端)
ソリストはやっぱりシャーガーが群を抜いて良く、第1のノルン(写真右から2人目)とヴァルトラウテ役のシュスターも健闘。グンターのニキーチンは歌唱のラインが細く存在感が薄かった。ハーゲンのオーウェンは存在感のある歌唱だったけれども、温厚なオジサンのようで怨念と復讐の権化には見えず聞こえず。グートルーネはエルザ風の響きとラインの歌唱でいい感じだった。
ジークフリートから1日おいて復調しているかと期待したゴーキーはプレザンスセニックは申し分ないものの、声は復活していなかった。神々の終焉の幕を下ろすには力不足に聞こえた。残念…。
そういえば!私全然アルベリヒを失念していた!あんなに大事な役なのに、というかメインタイトルは彼の指輪だっていうのに。どうしてかしら…?彼のちょっと鼻にかかったような(受け口風な)声があまり好きではない、というだけではないと思うけれど。大きな謎だわ。

オケはジークフリートの時はあんなに活き活き鮮やかだったのがまたちょっとつまずいた感あり。でもお家のDMじゃないのに両方ともよく頑張ったわよね。葬送行進曲の時はジョルダンの指揮を凝視していたんだけれども、パリだったらこういう反応にはならないだろうなと感じた(これはリング全体での印象でもあり)。リングはやっぱりお家のDMが振るのがいいんじゃないでしょうかね。
じゃあバイバイMET!私たちはガルニエとバスティーユのある旧大陸に帰ります。またいつの日か!

Direction : Philippe Jordan
Production : Robert Lepage
Décors : Carl Fillion
Costumes : François Saint Aubin
Vidéo : Lionel Arnould

Brunnhilde : Christine Goerke
Siegfried : Andreas Schager
Gudrune : Edith Haller
Waltraut : Michaela Schuster
Gunther : Evgeny Nikitin
Alberich : Tomasz Konieczny
Hagen : Eric Owens


METでプレイビルの拡大版(レターサイズの縦が3インチ長い)というのがあって、ジークフリートの時に気づいて何のためかと尋ねたら普通のプレイビルでは字が小さすぎて見えづらい人用とのことだった(これについてはプログラムの中に説明あり)。2回目のアントラクトで残っていたので貰えるかと尋ねたら快くくれた(神々の黄昏のも忘れずに貰ってきた)。ラインの黄金で気がついたら全部揃えられたんだけど...でも1公演しかないシャーガーのジークフリートを入手できてラッキー。定型じゃないからどうやって額に入れようかしら?
クロ坊、ただいまー!お留守番ありがとねー😃


2019/05/02

Siegfried / ジークフリート


やっぱりシャーガーのジークフリート最高よね。ゴーキーのブリュンヒルデ以上にここまで三位一体が極まったジークフリートってなかなかいない。今まで知らなかったものに目覚める、ステージアップするというパルジファル的な要素が彼に合ってるんだろうなと思う。第1幕は高音の音程に不安定な部分がいくつかあって(ギアが合わなくて空回りする感じはいつもの彼らしくない)調子良くないのかしらと思ったものの、第2幕からは持ち直して(ジョルダンの助けあり)きっぱり鮮やかに歌いきった。最後の音は楽譜通り(ミュンヘンでのフィンケのようにcontre-utではなく)。ゴーキーはやっぱり本調子ではないようで、特に高音に厚みがなくパワー不足でヒラヒラ乾いた声を聴くのは辛かった。故にシャーガーとのバランスがいまひとつよくない。サリューの時の様子から自分でも納得のゆくパフォーマンスじゃなかったんだろうなと推察。この二人が絶好調でブリュンヒルデ&ジークフリートだったら圧巻だろうなー、聴いてみたいなー!
ミーメは歌唱的に文句なく上手いんだけど、個人的にはもっと素っ頓狂な声で半分狂っちゃったようなキャラクターで聞かせてくれる方が好きなので…。
ワルキューレの最後で打ち拉がれていたヴォータン、ジークフリートの出現に活路を見出したかのようだが、割とアクが抜けて淡々としてもいる。この曖昧なヴォータンをフォレが見事に表現。
ジークフリートとの最初で最後の対面シーン。槍を両手で頭上に掲げるのは”これを叩き折って行け”という餞でもあり、同時に神々と契約の世の終焉の柝を打たせて自分に聞かせるという雰囲気でもあった。
森の小鳥はブリュンヒルデ並みに不調なのか、バスティーユでのツァラゴワの囀りが今も耳に残っている耳にはどうしても小鳥に聞こえなかった。後宮からの誘拐のときにはもっとクリアでメロディアスな歌唱だった記憶。


オケが蘇ったようによくて、色彩感に富み、舞台と親密な緊張感があり、起伏とドラマ性のある音楽。(でもやっぱりVents、特にホルンに恒常的トラブルあるわ。ラインの黄金の時ほどじゃないけれども…)しかし第2幕のチャーミングな終わり方を聞かせてくれない観客どうにかして。カーテンが下り始めたら拍手がお作法な観客は今日日METに限らずどこの劇場でもいる。曲が最後まで終わってからカーテン下ろすように演出家は考えた方がいいかも。


Direction : Philippe Jordan
Production : Robert Lepage
Décors : Carl Fillion
Costumes : François Saint Aubin

Brunnhilde : Christine Goerke
Siegfried : Andreas Schager
Erda : Karen Cargill
Mime : Gerhard Siegel
Wanderer : Michael Volle
Alberich : Tomasz Konieczny
Fafner : Dmitry Belosselskiy
Oiseau de la forêt : Erin Morley

2019/04/30

Die Walküre / ワルキューレ


いやもう本当に今まで聴いた中でいちばん、最高のヴォータン!
まずこれまで”これぞ”というヴォータンに出会わなかったというのもある(バスティーユでのマイヤーズのヴォータンはかなり理想的だったし、ミュンヘンでの声が出なくなってしまったコッホのヴォータンから感じるものもあったが)。はるばるここまでやって来たのはジョルダン愛もさることながら、フォレのヴォータンを聴きたかったことも大きな理由のひとつ。素晴らしい歌唱と演技を披露してくれると信じていたが、ここまで感動させてくれるとは…!
彼はパーティションを正確に歌うだけではなくて、言葉にエモーションをのせて伝えることができる。バスティーユのアンフィで彼の歌うリートを何回か聴いて心いっぱいに感動したけれど、あれはアンフィのインティメートなサイズと雰囲気によるところもあるでしょ?と言われたら、うーんそうかもね、と答えたかもしれない、この夜までは。でも、METのホールでそれをやってのけるフォレ、ヴォータンでねー(感涙)。

実は今日までどうしてヴォータンがあんなに怒るのかいまひとつよく理解できなくて「あーんなに怒ってブリュンヒルデにあーんなに酷い罰を与えなくてもいいのにね」と思っていたが、さっき突然わかった。さっきというのは今でも鮮明に思い出せる第2幕最後の場面。ここの息もつかせずたたみかける展開の中、ヴォータンがジークフリートの亡骸を抱きかかえて悲嘆にくれるというしっかりした場面を作って事情を知らずに凶刃に殪れた息子への哀しみの愛を可視化し(ワーグナーのリヴレではヴォータンはフンディングの頭の上にかかる雲の中にいる)同時にこの間にフンディングは勝利を味わい、ブリュンヒルデはジークリンデを連れて逃げるというシーンが、ピットからの音楽とマッチして実にタイミングよく繰り広げられる。ヴォータンの悲嘆から怒りへの感情が怒涛のように渦巻き流れるのを感じたのはこの場面だった。フォレの力が50%、ソリストのディレクションがピタリとタイミングのあった時にだけ得られる閃きが50%かな…これは演出のおかげ、Mルパージュありがとう。

ヴォータンは愛するジークフリートを自ら手を下して死なせたくなかった(ずいぶん自分本位なご都合主義じゃないのと思うけれど、ヴォータンはそういう手段もとる生き方の神様としてリングに登場しているので)。それがブリュンヒルデの背信のせいで、ジークフリートのため(ひいては自分のため)に準備しておいた剣を自分の槍で折り、フンディングの槍の前に無防備なジークフリートをさらさなければならない(死刑執行のボタンを押すような感じ?)状況に追い込まれる。ジークフリートの死で指輪奪還のプロジェクトもおじゃんでまさにDas Ende!
SchildmaidであるけれどWunschmaidでもあるブリュンヒルデがジークムントを救おうとしたのは側から見るとごく自然なことのように思える。でも自分の意のままに動く小娘と疑いもしなかったブリュンヒルデが、目を瞑る決心をした心の奥底を見抜いて反旗を翻し苦しみの末に選んだシナリオを台無しにしたのだから、ついさっき妻に理論で言い負かされたばかりなのに感情では娘に足元をすくわれて連敗、可愛さ余って憎さ百倍とばかりに逆上しちゃったんでしょうな。おまけに沸騰点で厳罰を言い渡してしまって(それも居並ぶ娘たちの前で)引っ込みもつかないし、翻意してしまっては示しもつかない。そうは言っても燃料が注がれなくなれば熱は冷めてくるもの。ブリュンヒルデの語りを聞くうちに後悔の念がわいてきたでしょうねえ。こんなことになってしまってもうオレも本当に焼きが回った、やっぱりオレの世もお終いだな…とかなり心が弱ったと思う。そこでここまで愛娘への情愛をせき止めていた心のダムが結界して思い極まったヴォータンの告別。最初からずっと観て聴いていたらこれはもう感動しないわけがないわねー。ブリュンヒルデ最後の願いも魔法の焚き火とかシャビーなものじゃなくて、わざわざローゲを呼びつけて炎の壁をめぐらせるんだから、やっぱりそこらへんのゴロツキに愛娘を渡したくはなかったのよね。これで彼女の身はひとまず安心、とは言ってももう2度とDer Augen leuchtends Parrを瞳にうつすことはない…Das Endeの扉を開けたような気持ちがしたでしょうね(ブリュンヒルデの計画に気づいた様子もないし)…数時間のうちに最愛の息子と娘に自ら別れを告げなければならなかったヴォータン、最後に舞台下手でガックリと膝をおとしてうなだれる…ここはブリュンヒルデが横たわる岩の前(つまり舞台中央)で槍にすがりつつ肩膝をつく11年版とは違う部分だけれども、今回のバージョンの方がヴォータンの人間的な悲嘆がより濃く表されている。以上、フォレヴォータンの舞台から感じたままに。

第1幕は昨夏カンペとヨーナスの双子を観て聴いて、いまのところ彼らを超える双子はちょっと考えられない高い壁があって難しかった。特に立ち上がる時丸すぎて前によろけたりノートゥングにつかまってヨッコラショみたいなジークムントはねー、説得力ないわジークリンデと逃避行の時も何をしたらいいか分からずにオロオロしているようで、あれじゃとても頼りにならない。歌唱は二人とも余裕なくちょっとキツイ感じ。ジークリンデは第3幕のあのシーンの感動が少々目減りした。彼女来年パリでも歌う予定なんだけど、不安。ヨーナスがジークムントなのにどうしてカンペにお願いしなかった?!ジークムントは前回のパリでのリングでは良かったので期待していたのに…年月の流れは無情だわね。グロイスベックってよくフンディング役(前回のパリでも歌ってる)歌う印象だけど、彼のキャラクターはこの役に合っていないと思うんだけどな。

説得力といったらブリュンヒルデ役のゴーキーでしょう!ああいう声と歌唱とソリスト自身のキャラクターが三位一体でブリュンヒルデ。声の調子はpas très en formeな印象を受けたけれども、そんなのは瑣末なことと感じられるくらい理想的なブリュンヒルデを体現。そういえばヴォータンとブリュンヒルデ登場のシーンで拍手が出てヴォータンの最初の歌詞が聞こえなかった。ブリュンヒルデがご当地出身というのはわかるけれども…まあこういうのはそれぞれの地でお作法がありますね(ミュンヘンではシェンク演出の薔薇の騎士やこうもりで舞台転換があると拍手があったし、ヴィースバーデンのワルキューレで馬が出て来た時も拍手があった)。

DIRECTION : Philippe Jordan
PRODUCTION : Robert Lepage
ASSOCIATE DIRECTOR : Neilson Vignola
DECORS : Carl Fillion
COSTUMES : François St-Aubin
LUMIERES : Etienne Boucher
VIDEO : Boris Firquet
REVIVAL STAGE DIRECTOR :J. Knighten Smit, Gina Lapinskis

SIEGMUND : Stuart Skelton
SIEGLINDE : Eva-Maria Westbroek
HUNDING : Günther Groissböck

BRUNNHILDE : Christine Goerke
WOTAN : Michael Volle
FRICKA : Jamie Barton

ジョルダンが出てきた時フォレが投げキスしてたわね💕。アラベラで共演して以来、フィンレーが降板した時にあの難しいパリのザックスをたった1公演だけわざわざ出演中のウィーンから来て歌ってくれたり、バイロイトでも共演してるし気心知れた間柄なんでしょう。(それならばなぜ来年のヴォータンを彼にしなかったの!とも思うがキャスティングのディレクターは別にいるから仕方ないのか…)



2019/04/29

Das Rheingold / ラインの黄金 


とうとう大西洋を渡ってMETへやってきてしまった…34年ぶりの合衆国。一般販売開始時には何千ユーロも出して座席指定もできないなんてとんでもないと行くつもりはなかったが、ジョルダン指揮のリングだし…この機会を逃したらもうこの後行く気にはならないかもしれないし…と思いなおし、去年の6月に当時残っていた席を取ったのだった。その時取った席は(アコースティックの悪さはもちろん上のバルコンが視界に入るのを知りつつも)ドレスサークルの最後列。だって他にチョイスがなかったんだもの。そして月日が流れ今年の2月だったかな?グランドティアに新たに席があるのを発見。すぐにMETのカスタマーサーヴィスに電話でアップグレードを依頼してその席を確保することができた。ラッキー

パリと同じくらいとは言えないけれども思いの外普通の服装の人が多い(スーツにスニーカーの男性多し)。そして平均年齢が高い…まるでTCEのようだわ。ホールは映像から想像していたほど巨大に見えないのは、高さがあるからかしら。それと正面バルコンの幅が広いから収容人数多くなるのね。パーテールの奥行きはどのくらいなんだろう?
しかしあれだ、音楽途中の拍手、ブレスレットのジャラジャラ音、携帯の呼び出し音(電話もメッセージも両方よ)、飴の包み紙のメリメリ音、お喋り…何でもありなのねw。あ、でも少なくとも私の視界にはフラッシュで写真ってのはなかった。



いやー、神々の行く末は厳しいわよー(まあ終焉が決まってるわけだけれども)。
序奏から何やら自信無げで危なっかしかったホルンが、やってしまった大cracそれもドンナーが雲を集めて雷のシーンっていう、いちばんやっちゃいけない部分で、観客がどよめくレベルの大crac…
動くたびにギシギシ軋まないけれどもパリパリ音のするマシン、みんなが登場を待ってるのに全然上がってこないエルダ…予定時間をかなり延長してようやく上がってきたけれども、これはみんな焦ったと思うわー(40秒という数字をどこかで見た)。
音楽的には、リングチクルスはメゾンの音楽監督が振らないと指揮者もオケもお互い難しいんだろうなーとしみじみ思ったわ。ほとんど起伏がなく面白みがなかったし、怠いというか緩い雰囲気が全体を覆っている。オケの音も響きももっと立体感あってゴージャスなのを想像してたが、ジャルダン側の席だったので金管はよく鳴って聞こえたけれども、弦は平坦で存在感が希薄なのでバランスがよくなかった。
でもソリストの歌唱は細部まで自然によく聞こえたので高性能のPA設置して精鋭の音響エンジニアがいるんだろうなー。ヴォータンが本当に囁くように歌ってる部分までも、すーっと自然に聞こえてくる。そのヴォータンは70%ザックス風味のヴォータンだったわ。北欧神話の如く、人間味溢れる神様!

演出は、リヴレに忠実でとても平易でわかりやすい。初めてリングを観る人にも違和感ないでしょう。あのマシーンの動きにも映像の美しさにも感心したけれど、そこまで、なのよ。ワーリコフスキ演出のレイディーマクベスを観たばかりの脳には物足りない。

Chef d'Orchestre : Philippe Jordan
Production : Robert Lepage
Décors :Carl Fillion
Costumes : François St-Aubin

WOGRINDE : Amanda Woodbury
WELLGUNDE : Samantha Hankey
FLOSSHILDE : Tamara Mumford
ALBERICH : Tomasz Konieczny
FRICKA :Jamie Barton
WOTAN : Michael Volle
FREIA : Wendy Bryn HarmerFASOLT : Günther Groissböck
FAFNER : Dmitry Belosselskiy
FROH : Adam Diegel
DONNER : Michael Todd Simpson
LOGE : Norbert Ernst
MIME :Gerhard Siegel
ERDA : Karen Cargill

席はグランドティア4列目9−11。ギシェにピックアップに行ったら封筒を2通渡されて”???”と開けてみたら、ひとつは最初に買ったドレスサークルのチケットの束だった。2つのチケット、同じデザインだけれども、紙質とフォントが違うのよ。

2016/03/01

Die Meistersinger von Nürnberg / ニュルンベルクのマイスタージンガー(ONP)演出について


2013年のザルツブルクとの共同制作で演出はヘアハイム。当時テレビでライブ放映された時、前奏曲の部分から「これは観たい!」と引き込まれるものだったのを思い出す。今回ヘアハイムはアシスタントに任せきりにすることなく、自らパリにやってきて演技をつけた様子がポートフォリオに載っている。

セノグラフィは19世紀前半のビーダーマイヤー様式をテーマにしていて、この時期はワグナーの幼少期と重なるのでグリム童話やおもちゃなどで子供の世界を表すのに納得できる。またビーダーマイヤー様式自体がそれまでの豪奢でヘビーなエンパイア様式に反してシンプル、洗練、気ままさを追求したことも新旧の対比がテーマの作品によく馴染む。

おもちゃといえばニュルンベルクは世界最大の玩具見本市が開かれる場所だし、第3幕でフュルトの娘たち(巨大な人形)は機関車に乗ってやってくるが、ドイツで最初に旅客蒸気機関車が走ったのが1835年ニュルンベルクとフュルトの間なので、よくここまで考えた演出だなあと感嘆する。もちろん舞台上の機関車は当時のアドラーという機関車を模してある。

ちなみにロバはグリム童話のロバの王子ではなくて、シェークスピアの夏の夜の夢に出てくるボトム(確かに頭はロバだが身体は人間)。同時であるミッドサマーナイトとヨハネス祭前夜の乱痴気騒ぎの関連付けと、ワグナーがヴェーゼンドンク夫人に送った手紙の中でシェークスピアの笑い、ユーモアについて語っていることにちなんでいるらしい。


この演出のベースになるのはザックスとベックメッサーは表裏一体、2人で1人のワグナーであるというレクチュールで、現実と幻想の世界をプロジェクションマッピングとセットの縮尺をうまく使って見せていて、ワグナーが両方の世界を行ったり来たりしながら創作していたであろう状態にも思いが至る。

夢の中でインスピレーションを得たザックスが寝室から飛び出してきて机に向かってそのメロディー(詩)を一心不乱に書き留めたり、書いたものを窓際で見直したりしている途中で前奏曲が始まる(fで始まる前奏曲に驚いたザックスは我に返って客席を見渡す)。
そして最後、ワグナーの胸像の頭にあった金の月桂冠をとってためらいながらも思い切って自分の頭にのせると同時に何か見えない力に打たれたようなザックスは人々の間に倒れこむ。音楽が進んで人々が左右に分かれると一番最初と同じ寝間着姿で床に這いつくばりこれまた一心不乱に紙に何か書きつけている人間の姿。興がのって作曲中の音楽を指揮するジェスチャーで立ち上がり、顔を上げたその人はベックメッサーなのだ。

それを表す演出がとても細かくつけられていて、例えばヴァルターの詩を床に横たわってディクテするザックス、この時ヴァルターは彼の背後で歌っているが、彼はヴァルターの姿を見ることなく彼とともに歌いながら(声は出さずにリップシンク)書いている。つまりヴァルターの歌は既にザックスの頭の中にあってそれを書き出しているということ。
この後に工房にやってきたベックメッサーがザックスに向かってなんやかやと文句をつけるが、この時にも一緒にリップシンクしている部分がある(全部ではないところがポイント)。

ザルツブルクの映像を見ると、第1幕でヴァルターの歌に魅了されたマイスタージンガーたちはうっとりとした様子で目を閉じ、彼の歌とともにリップシンクしているので、ヴァルターの歌が旧弊をいとも簡単に凌駕する魅力があること、旧態然とした人々の心にも響く普遍性を示しているのかもしれない。でもここまで細かいと相当舞台に近いと見えないし、物理的に見えたとしても気づかない可能性も多々あるが、手を動かすタイミングと速さまで指示したというヘアハイムのこだわりが感じられる。


そして3年前から手直しされた部分もあったので気づいたところをいくつか(変更が見られた衣装やカツラもあり、セットの壁の色合いも明るめに感じられた)。
ラストシーン、ベックメッサーは周囲の人々を追い払い尊大な表情で暗転して終演だったが、それをなくしておそらく楽曲完成の喜びを身体全体で表したあと深くお辞儀をして終わるようになっている。
第2幕の大混乱シーンの最後、ザックスはヴァルターを自宅に導き入れた後ドアの前で振り向きエヴァに父親の家へ戻るように指で示し、エヴァは憤懣やる方ない様子で家に入る(ザルツブルクではそれぞれ普通に家に入ったため、フォレがザックスだった日にはこの演技はなかった)。
同じく第2幕のシーン、エヴァに扮したマグダレーナはラプンツェルのように三つ編みの髪をおろしたが、時間を潰すために編み物をし長~いマフラーを下す(これはベックメッサーが首に巻くのでマフラーの方が自然)。
第3幕でポグナーがヴァルターにマントを着せかけるシーンで台になっていた巨大な本2冊がなくなる(歌のシーンではもちろんある)。
またベックメッサーがザックスに握手を求めるが、ザックスはただ背を向けるだけではなくその後腕を払うような仕草で拒否の姿勢をさらに明確にしている。


とにかくよくできた完成度の高いプロダクションだと思う。意味不明な解釈や不可解な読み替えで観客の意識を不必要にそらせることなく、音楽とストーリーを素直に無理なく楽しむことができるのは特にこの長い作品の場合はありがたい。演出家だけがわかる口実の垂れ流しや、ねじれたポリシーの押し付けも妙な捻りもなく、多くの観客が見て幸せな気持ちになれる演出は、プレクシグラスを多用して観念的な演出が続いた後だったこともありストレートに楽しめた。
最近のNPプルミエールにありがちの演出チームへのブーイングがなく、盛大な拍手とブラヴォーの声を送られたヘアハイムは相当嬉しかったのか、万歳をしながらコーラスの前を走り回っていて微笑ましかった。
Merci Monsieur Herheim !

Mise en scène  Stefan Herheim
Décors  Heike Scheele
Costumes  Gesine Völle
Lumières originales  Olaf Freese
Réalisées par Andreas Hofer et Stefan Herheim
Vidéo  Martin Kern
Dramaturgie  Alexander Meier-Dörzenbach

2015/10/03

Die Meistersinger von Nürnberg / ニュルンベルクのマイスタージンガー(シラー劇場)



東西ドイツ統合25周年記念日にプルミエールがあったSOBのマイスタージンガー、プルミエールだけは初日の土曜日に第一幕と第二幕(20h30~0h00)、翌日の日曜日に第三幕(12h00~14h00)という具合に2日間に分かれている。理由について公式の説明はないが、バレンボイムがどこかのインタビューで「土曜日に式典があるから、普通の時間に始めてしまっては来られない人がいる」とか「ストーリーに沿った時間でやってみたかった」と言ったり、”ワーグナーファンのメルケル首相のアジャンダに合わせた”などという噂もあった(彼女の姿はなかった)が、本当のところはベルリンの3つのオペラ(シュターツ、コーミッシュ、ドイツ)が週末2日で3つのオペラを観られるようにオーガナイズしたようだ。ちなみにコーミッシュではホフマン物語、ドイツではヴァスコ・ダ・ガマだった。後者2つはフランスオペラなのが興味深い(オッフェンバックもマイアベーアもドイツ人だったし、マイアベーアはベルリン生まれだが)。

ホールに入ってすぐ気付くのが、春のパルジファル公演の時に取り付けられていたピット上の覆いが取り外されていることと、舞台の両端から客席前方の二つの扉に向かって通路のようなものが設えてあること。通路は演出上のものだろうが、覆いを外したのは音響を考えてのことかしら(それとも通路を設置すると覆いがつけられない)?


舞台上には教会のしつらえ、大きなドイツ国旗がかかっている(ドイツ国旗は全編を通してそこここで使われている)。観客がまだ全て席につききらず客席がまだ明るいうちに客席のドアから舞台に人々が集まり始める。ドアのところでお喋りしているおじいさんがどうして帽子なんか被ってるのかしら?と思ったらマイスタージンガーのひとりだったw。

とにかくみなさんすごいパワーと迫力の演奏&歌唱で驚いた。まずバレンボイムの前奏曲での入魂ぶりが凄まじい!いくら今夜は第二幕までとはいえ、この調子で全力疾走したら彼ももう若くないんだし倒れるんじゃないかと心配になったくらい。その勢いと迫力がオケに伝わるのはもちろん、舞台上にまでみなぎっていてソリストもコーラスもこのままもし第三幕まであったら舞台上とピット内で全員バーンアウトしてしまうようなフルスロットルぶり!今夜は第二幕までだからパワー全開なのかしら..とも思ったけれど、みんなこの絶望的にデッドなアコースティックの中これだけ全力のパフォーマンスで感涙ものだった。

ザックスのコッホ、半年前にここでヨロヨロのアンフォルタスだった時のイメージが蘇ってどうしてもザックスのキャラクターには弱く思える。演出として靴職人としての面は控えめで、68年の洗礼を受けた哲学者風な描かれ方をしているせいもあって、他のマイスタージンガーに与さない個性が演技にも歌唱にも感じられないのはちょっと拍子抜け。でも2日目はグンと良くなり、3-2でヴァルターの歌を導き出していく部分で渋く光り、3-5では押し出しの良いザックスになっていた。彼はミュンヘンのマイスタージンガーでもザックスだが、どうなるかしら…。

ヴァルターのフォークト、バイロイトでハラハラしたのが嘘のようなピタリと決まる歌唱(プロンプターに助けられたところがあったが)。テノール/バッカスの時も思ったが彼はこういうコミックな役作りも巧い。最初飛び入りで歌う部分の荒削り&未熟感、ここではローエングリンで最初から感じらる神様成分のようなものはなく、素直で元気だけれど物を知らない普通の若者そのもの。翌日の歌合戦で披露するためにザックスの書斎で歌を創っていく途中で洗練度を高めつつ新しいドアをひとつひとつ開けていく才能の目覚めの喜びのような感覚。最後の”Morgenlich…”ではスーッとどこまでも伸びるようなラインの美しさにハッとさせられるほどの完成度の高さ、このステップアップを実に自然に歌い分けていた。
初日第二幕終わってのカーテンコールで笑顔がなかったのが気になった。調子悪いとは思えなかったけれど何かあったのかもしれない。

ベックメッサーのウェルバ、彼をここで聴けるとは望外の幸運。あれだけ細かい部分まで芝居をしながら全く音をはずさずプロンプターも見ずに、決して歌い流したりせずきちんと歌い上げるのだから。そして彼の巧さは「わたくし、お役人サマですから」の嫌味ったらしい部分と間抜けで小心な部分を絶妙にブレンドしてベックメッサーになっているところにある。そして後ろや上の方の人は見えないだろうなあと思われるような表情や仕草、舞台上のメインストーリーとは外れたところで(どれだけの観客があそこでベックメッサーを見るだろうか、と思われるようなシーンでさえ)地味に演技をしていて、芝居好きな私を心から楽しませてくれるのだった。しかしあれだ、彼の衣装は細身の彼には大きすぎて気の毒だったわ。

映像だけでもちろん現役時代は観てない往年の名ソリスト達が、もう本当に嬉しそうに楽しそうに演じたり歌ったりしていたのを見て、こちらまで幸せな気持ちになる。観客の中には彼らの現役時代を知っていて懐かしく思った人もいたはず。特にハンス・シュワルツ役のフランツ・マツーラは1924年4月生まれの91歳!杖をついていたけれど矍鑠としているし声もよく通る。彼の頑固親父ぶり(ベックメッサーが歌うのを聞く時の表情と言ったら!)に観客は大喜び。ジークフリート・イェルサレムはよく日焼けした顔に真っ赤なパンツを粋にはきこなすバルタザール・ツォルン、彼が歌うたびに客席は”おぉ!”という雰囲気になる。
マイスタージンガーのテーマの旧態依然としたシステムに新風を吹き込む異なる価値観、旧から新へのトランスミッション、それらの融合と反発、といったものが実際に舞台上のソリスト達が体現しているとくれば、これ以上の演出効果はない。

この効果を高めるものとして、マイスタージンガーはビル上にネオンで自社名が輝く企業のパトロンで、彼らの名前がロゴになったパネルが随所で使われる(役人のベックメッサーの名はない)。服装もシャツを外に出したラフなパンツ姿のザックスを除けば皆シックに装っている。エファは清楚な乙女としては描かれず、背中が開き裾のスリットがぐっと深いセクシーなドレスでヴァルタターを誘惑し煙草も吸う今のお嬢さんである(しかし彼女のクリアな声は清楚な乙女そのもの!)。徒弟達は皆おなじ黒のスーツに男子はマッシュルームカットのような、女子は外側にカールしたボブという割と没個性的な描かれ方をしているが、ここはこうしないと舞台上で視覚的に混乱するだろう。
ここに新しい血として流れ込んでくるヴァルターの白シャツとグレー(黒かな?)のパンツに革ジャンとウェスタンブーツという姿は異質なものとして視線を捕らえる。全く勝手判らずといった具合のヴァルターの演技も巧い。

第一幕の演出はセノグラフィも衣装で社会的カテゴリの違いを表してるところも良く考えられてるなーと思ったが、第二幕はほぼ全般でこじつけっぽいし無理がある。特に舞台を屋上に設定した意味がないし、そのせいで不自然なストーリー進行になる。社名のネオンを使いたいなら他に方法があったはず(ネオンはイメージと割り切るとか、遠景で見せるとか)。靴修理の台をわざわざ持ってこさせて作業するのは不自然。カナビスにジョウロで水をやるザックスって…(ONPのジークフリートみたいだw)。ベックメッサーがわざわざ着替える衣装も唐突すぎるしこの演出の中では意味を失っている。この第二幕をやはり意味不明と言っていたフランス人が何人かいたが(パンを買うときに並んでいて耳に入ってきた)、もしかしたらドイツに住んでいる人だとしっくり理解できるのかしら?!ジャーマンウィングの事故とフォルクスワーゲンの不正(揺らぐことのなかったエンブレムの失墜)、難民受け入れ(多様な価値観の受け入れ)今のドイツに重ねて見ることのできるであろう要素だ。

最後のシーンではパンクのグループ、LGTBのグループ、アナーキストやナショナリストのグループ、サッカーのサポーター(×2)、パーティーゴーアー、修道女にラバンまで、ありとあらゆる人々が舞台上で大混乱を引き起こす。ここはもう演奏も歌もどうだったかは記憶から吹き飛んでしまい、ただただあのカオティックな舞台が思い出されるばかり…。最後は倒れた夜警が上半身を起こして11時を告げて再び倒れ、第二幕終了。
舞台演出で登場人物の内面(キャラクター)からベクトルが出て観客はそれを直に受け取る場合と、時代と場所を設定してその環境からベクトルが出て登場人物と出来事に反射したものを観る場合とでは感じ方がずいぶん違うんじゃないかなと思った。前者は見る側が自分を投影できるので分かりやすいが、後者はその時代や場所を実際に知っているといないのとで大きく差が出るだろう。

ソリスト、コーラス、オケbyバレンボイムの大迫力パフォーマンスに終始圧倒されたのだが、終わって何がいちばん心に残ってるかというとオーケストラ。舞台と時に語りあい、時にサポートし、時に心情や風景を描いてとても表情豊かだし、その音は香りの良い上質の木を思わせる。とりわけ絃楽器は素晴らしく、第二幕第三場、夏至の頃の夕暮れに吹いてくる少し熱を帯びた風を肌に感じるようなあの音、第三幕への前奏曲では優しさ、ノスタルジー、人生の甘やかさや苦み等々さまざまな思いをページをめくるようにして見せてくれるあの語り口に心がジーンとした(どう少なく感じても涙目になる…)。今シーズンはこの後パリ、ミュンヘンとマイスタージンガーのNP(パリは共同制作なのでザルツブルクですでに公演があったもの)が続くが、一番手がこれだけバーを高くしてしまうと後続はクリアするのが難しいんじゃないでしょうかねえ…。



Musikalische Leitung: Daniel Barenboim 
Inszenierung: Andrea Moses 
Bühnenbild: Jan Pappelbaum 
Kostüme: Adriana Braga Peretzki 
Licht: Olaf Freese 
Chor: Martin Wright 
Dramaturgie: Thomas Wieck, Jens Schroth 

Hans Sachs: Wolfgang Koch 
Veit Pogner: Kwangchul Youn 
Kunz Vogelgesang: Graham Clark 
Konrad Nachtigall: Gyula Orendt 
Sixtus Beckmesser: Markus Werba 
Fritz Kothner: Jürgen Linn 
Balthasar Zorn: Siegfried Jerusalem 
Ulrich Eisslinger: Reiner Goldberg 
Augustin Moser: Paul O’Neill 
Hermann Ortel: Arttu Kataja 
Hans Schwarz: Franz Mazura 
Hans Foltz: Olaf Bär 
Eva: Julia Kleiter 
Walther von Stolzing: Klaus Florian Vogt 

Magdalene: Anna Lapkovskaja
David: Stephan Rügamer
Ein Nachtwächter: Jan Martinik


今回の席はパーテール6列目の中央をとってあったが、直前に1列目に戻りチケットがあると知ってチケットオフィスに電話して「交換は可能でしょうか?!」と訊ねた。すると「できますけど6列目の方が音がいいですよ、私だったらそのままにします。Believe me.」と言われてそのままにしたのだった。

それで正解だったのです。何回ヴァルターが正面で歌ってくれたことでしょう!もちろんエファではなく私に向かって歌ってくれているのだ思い込みながらポーッと聴かせてもらいましたとも(爆)!

Parkett rechts  Reihe 6 18-19

2015/06/21

CATONE IN UTICA / ウティカのカトーネ @ Opéra Royal de Versailles


ウティカのカトーネ、リヴレはオペラにぴったりで(この時代お決まりの大団円で終わらず、カトーネの自死で終わるというカヴァレリアルスティカーナチックなリヴレだが)あれだけ長丁場なのに納得して観られるというのはリブレッティストの力でしょうなー。下手な作りだったら半分もいかないうちに飽き飽きしたと思う。

とにかくファジョーリが歌唱も演技もプレゼンスセニックも申し分のないみごとなチェーザレ。彼のあの際立った所作や表情は、演技として意識しているのかそれとも役になりきってああなるのか、どうなのかしら?と思わずにはいられない。
先日のリサイタルでもそうだったが、彼のパーティションの音符のひとつひとつは粒ぞろいの真珠でできているのではないかと思わせる美しさのアジリタ。
その精緻な様は微細な彫りを極めた彫像や建築物を見るよう。かつ質の良いエナメルで仕上げたような艶のある輝く声で歌われると、もうただただその芳醇な流れに身も心もまかせて聞き惚れるしかなく…。まったく至福、この世の楽園としか言いようがない。(時々息をするのを忘れて聴いているので下手をするとあの世の楽園に行きかねない、危険!)

とにかくファジョーリはファジョーリでファジョーリだったのでもうあれこれ言うことはないのですが、第二幕の”私と戦場で相対したいならば”のアリアの前に舞台奥で客席に背を向け、こう準備するというか全てのエレメントを正しい位置に置くような感じで少し身動きしているうちに”行くぞ…!”というオーラが背中からスーッと立ち上ってくるようでそれがとても印象に残っている(ヴィジュアル的に今も脳裏に残っているのはこのシーン)。
このアリアを歌い終わって退場した後、観客の拍手や足踏みがすごかったからか、再登場して拍手を受けてた。こういうのって珍しい(ステージマネージャーさんに行けって言われたのかしら?!)。
私はどちらかと言うと彼の叙情的なアリアの方に心をうたれるが、今日のこのアリアは傑出していてちょっと別次元の歌唱だった。後日アルバムに収録された同じアリアを聴いたら別の曲のようで「あれ?この曲だったかしら?」と訝ったほど。
これだけ何もかも突出して素晴らしいとオペラの公演として他のソリストとのバランスはどうなのという気持ちにならないでもない。まぁ私はファジョーリを聴くのが何よりもまず第一の目的だったのでいいんだけど…。

マルツィアはいくつも違う音を歌うし(プロがこんなに音外しちゃいけないんじゃないかと思うくらい)、高音はそれほど得手ではないらしいし。それにこの舞台一の美人さんなのにキャバレーのコメディアンみたいなああいう顔芸はするべきじゃないわ(そういう場面でもないし)。
エミリアは艶のある女声のように聞こえて強さのある声なんだけど(所々フラゼがぶつ切りなのが残念)、立ち居振る舞いがトラック野郎なのがなんともまあ惜しいこと。第三幕で急にパワーダウンしてどうしたのかと思ったら、四重唱のところであの突拍子もない高音!これを出すために体力温存していたのかしらと想像(まるでサイレンのようで唐突すぎです、あれじゃ)。

カトーネはいいイタリア声だなあと思った(スペイン人らしい)が、アジリタになると突然カラカラと空回りするような声になって”あれ?”という感じ。もう少し落ち着いた演技の方がカトーらしいんじゃないかと思ったがそれは演出の要求かもしれない。カトーネの演出と言えば、彼が胸を刺した後に上着の胸の所から赤いリボンを出して流れ出す血を表しているのがいいなと思った。スタイリッシュなセノグラフィにぴったり。ただちょっとリボンが長すぎるかなと思わないでもなかったけれど。

マルツィアへの愛と悲嘆が絶妙にブレンドされたようなアルバーチェの声(声の色気で言ったら彼の声がいちばんでしょう)に歌が絶妙にマッチしている!そしてその佇まいがもうそのままアルバーチェの心情そのもの。舞台上で彼ひとりが”静”に見えて、激しく渦巻く愛憎劇からはじき出されてしまったような孤独が漂っている。でも彼の衣装、お魚屋さんのつける長い白いゴムだかプラスチックだかのタブリエみたいでちょっとアレだったわね。

演出はグラヴュールを背景にプロジェクションしたり、小道具として使ったり、モノトーンでシンプルにまとめたスタイリッシュなセノグラフィにそれぞれの登場人物の性格と血縁関係を表すような衣装。動物の骨とかアルバーチェがオウムで表されることとか(彼はヌミディア王子だったらどちらかというと馬じゃないかと思うが)ちょっと解らないところもあったが、ひどく気になるほどではなかった。

ミナージが弾きながら指揮するオケ、リサイタルの時よりもずっとよくていい意味で裏切られたと言える(まあ人数もシチュエーションも違うんだけど)。よくテンションを保ちつつソリストと共にストーリーを進めていく感じで、妙に引っ込み思案でもでしゃばりでもなく舞台との程よいバランスが聴いていてとても気分が良かった。

Leonardo Vinci
CATONE IN UTICA
Première en France

Opéra seria en trois actes. Livret de Métastase.
Créé au Teatro delle Dame de Rome, le 19 janvier 1728.


Cesare  Franco Fagioli
Catone  Juan Sancho
Arbace  Max Emanuel Cencic
Marzia  Ray Chenez
Fulvio  Martin Mitterrutzner
Emilia  Vince Yi

Il Pomo d'Oro
Direction et violon  Riccardo Minasi

Jakob Peters-Messer  Mise en scène
Markus Meyer  Décors et costumes
David Debrinay  Lumières
Etienne Guiol  Vidéo



席はバルコンロワイヤルのロジュだったが、この席、箱の中に詰められるのも同然で音響の良さなど望むべくもない上に、真ん中の席じゃなかったら横から張り出した壁様のもので視界が遮られる。おまけに暑い。
エレベーターに乗るのも嫌な私は、こんな所にとじ込められていたらオペラ観るどころか途中で気を失いかねない!と思い、案内のお嬢さんに「私このアルコーヴの中でで観るのは不可能です。バルコンじゃなくて下の席でも構いませんから他の席に移してください。」と申し出た。するとすぐその場で空席を探してくれたがそこでは見つからず。”ここで探すよりも受付で探してもらったほうが早いと思います”、と言われ受付へ。
「今日は満席で無理ですねえ」と渋い表情で言いつつもすぐに探し始めてくれたので(PCじゃなくて紙にプリントアウトした座席表に⚪︎とか×とか手書きしてあるのw)待っていると、舞台袖の席を出してくれた。随分斜めから観ることになるが、全然構いませんとも!あんな箱詰め状態で観るのとは(いや途中で観られない状態に陥ったやもしれぬ)比べ物になりません!
後日わかったことだが、この席をくれた受付の人はChâteau de Versailles SpectaclesのディレクターのBrunner氏だった。いつもは彼がここで観ているそうで「いい席ですよ」と勧めてくれた。そしてこの日ご本人はすぐ後ろの階段に座って観ていた。私たちに席を譲らなければならない義務もないでしょうに、親切な方でした。
いるんですよ、フランス人でも親切な人が。