2016/03/01

Die Meistersinger von Nürnberg / ニュルンベルクのマイスタージンガー(ONP)演出について


2013年のザルツブルクとの共同制作で演出はヘアハイム。当時テレビでライブ放映された時、前奏曲の部分から「これは観たい!」と引き込まれるものだったのを思い出す。今回ヘアハイムはアシスタントに任せきりにすることなく、自らパリにやってきて演技をつけた様子がポートフォリオに載っている。

セノグラフィは19世紀前半のビーダーマイヤー様式をテーマにしていて、この時期はワグナーの幼少期と重なるのでグリム童話やおもちゃなどで子供の世界を表すのに納得できる。またビーダーマイヤー様式自体がそれまでの豪奢でヘビーなエンパイア様式に反してシンプル、洗練、気ままさを追求したことも新旧の対比がテーマの作品によく馴染む。

おもちゃといえばニュルンベルクは世界最大の玩具見本市が開かれる場所だし、第3幕でフュルトの娘たち(巨大な人形)は機関車に乗ってやってくるが、ドイツで最初に旅客蒸気機関車が走ったのが1835年ニュルンベルクとフュルトの間なので、よくここまで考えた演出だなあと感嘆する。もちろん舞台上の機関車は当時のアドラーという機関車を模してある。

ちなみにロバはグリム童話のロバの王子ではなくて、シェークスピアの夏の夜の夢に出てくるボトム(確かに頭はロバだが身体は人間)。同時であるミッドサマーナイトとヨハネス祭前夜の乱痴気騒ぎの関連付けと、ワグナーがヴェーゼンドンク夫人に送った手紙の中でシェークスピアの笑い、ユーモアについて語っていることにちなんでいるらしい。


この演出のベースになるのはザックスとベックメッサーは表裏一体、2人で1人のワグナーであるというレクチュールで、現実と幻想の世界をプロジェクションマッピングとセットの縮尺をうまく使って見せていて、ワグナーが両方の世界を行ったり来たりしながら創作していたであろう状態にも思いが至る。

夢の中でインスピレーションを得たザックスが寝室から飛び出してきて机に向かってそのメロディー(詩)を一心不乱に書き留めたり、書いたものを窓際で見直したりしている途中で前奏曲が始まる(fで始まる前奏曲に驚いたザックスは我に返って客席を見渡す)。
そして最後、ワグナーの胸像の頭にあった金の月桂冠をとってためらいながらも思い切って自分の頭にのせると同時に何か見えない力に打たれたようなザックスは人々の間に倒れこむ。音楽が進んで人々が左右に分かれると一番最初と同じ寝間着姿で床に這いつくばりこれまた一心不乱に紙に何か書きつけている人間の姿。興がのって作曲中の音楽を指揮するジェスチャーで立ち上がり、顔を上げたその人はベックメッサーなのだ。

それを表す演出がとても細かくつけられていて、例えばヴァルターの詩を床に横たわってディクテするザックス、この時ヴァルターは彼の背後で歌っているが、彼はヴァルターの姿を見ることなく彼とともに歌いながら(声は出さずにリップシンク)書いている。つまりヴァルターの歌は既にザックスの頭の中にあってそれを書き出しているということ。
この後に工房にやってきたベックメッサーがザックスに向かってなんやかやと文句をつけるが、この時にも一緒にリップシンクしている部分がある(全部ではないところがポイント)。

ザルツブルクの映像を見ると、第1幕でヴァルターの歌に魅了されたマイスタージンガーたちはうっとりとした様子で目を閉じ、彼の歌とともにリップシンクしているので、ヴァルターの歌が旧弊をいとも簡単に凌駕する魅力があること、旧態然とした人々の心にも響く普遍性を示しているのかもしれない。でもここまで細かいと相当舞台に近いと見えないし、物理的に見えたとしても気づかない可能性も多々あるが、手を動かすタイミングと速さまで指示したというヘアハイムのこだわりが感じられる。


そして3年前から手直しされた部分もあったので気づいたところをいくつか(変更が見られた衣装やカツラもあり、セットの壁の色合いも明るめに感じられた)。
ラストシーン、ベックメッサーは周囲の人々を追い払い尊大な表情で暗転して終演だったが、それをなくしておそらく楽曲完成の喜びを身体全体で表したあと深くお辞儀をして終わるようになっている。
第2幕の大混乱シーンの最後、ザックスはヴァルターを自宅に導き入れた後ドアの前で振り向きエヴァに父親の家へ戻るように指で示し、エヴァは憤懣やる方ない様子で家に入る(ザルツブルクではそれぞれ普通に家に入ったため、フォレがザックスだった日にはこの演技はなかった)。
同じく第2幕のシーン、エヴァに扮したマグダレーナはラプンツェルのように三つ編みの髪をおろしたが、時間を潰すために編み物をし長~いマフラーを下す(これはベックメッサーが首に巻くのでマフラーの方が自然)。
第3幕でポグナーがヴァルターにマントを着せかけるシーンで台になっていた巨大な本2冊がなくなる(歌のシーンではもちろんある)。
またベックメッサーがザックスに握手を求めるが、ザックスはただ背を向けるだけではなくその後腕を払うような仕草で拒否の姿勢をさらに明確にしている。


とにかくよくできた完成度の高いプロダクションだと思う。意味不明な解釈や不可解な読み替えで観客の意識を不必要にそらせることなく、音楽とストーリーを素直に無理なく楽しむことができるのは特にこの長い作品の場合はありがたい。演出家だけがわかる口実の垂れ流しや、ねじれたポリシーの押し付けも妙な捻りもなく、多くの観客が見て幸せな気持ちになれる演出は、プレクシグラスを多用して観念的な演出が続いた後だったこともありストレートに楽しめた。
最近のNPプルミエールにありがちの演出チームへのブーイングがなく、盛大な拍手とブラヴォーの声を送られたヘアハイムは相当嬉しかったのか、万歳をしながらコーラスの前を走り回っていて微笑ましかった。
Merci Monsieur Herheim !

Mise en scène  Stefan Herheim
Décors  Heike Scheele
Costumes  Gesine Völle
Lumières originales  Olaf Freese
Réalisées par Andreas Hofer et Stefan Herheim
Vidéo  Martin Kern
Dramaturgie  Alexander Meier-Dörzenbach