東西ドイツ統合25周年記念日にプルミエールがあったSOBのマイスタージンガー、プルミエールだけは初日の土曜日に第一幕と第二幕(20h30~0h00)、翌日の日曜日に第三幕(12h00~14h00)という具合に2日間に分かれている。理由について公式の説明はないが、バレンボイムがどこかのインタビューで「土曜日に式典があるから、普通の時間に始めてしまっては来られない人がいる」とか「ストーリーに沿った時間でやってみたかった」と言ったり、”ワーグナーファンのメルケル首相のアジャンダに合わせた”などという噂もあった(彼女の姿はなかった)が、本当のところはベルリンの3つのオペラ(シュターツ、コーミッシュ、ドイツ)が週末2日で3つのオペラを観られるようにオーガナイズしたようだ。ちなみにコーミッシュではホフマン物語、ドイツではヴァスコ・ダ・ガマだった。後者2つはフランスオペラなのが興味深い(オッフェンバックもマイアベーアもドイツ人だったし、マイアベーアはベルリン生まれだが)。
ホールに入ってすぐ気付くのが、春のパルジファル公演の時に取り付けられていたピット上の覆いが取り外されていることと、舞台の両端から客席前方の二つの扉に向かって通路のようなものが設えてあること。通路は演出上のものだろうが、覆いを外したのは音響を考えてのことかしら(それとも通路を設置すると覆いがつけられない)?
舞台上には教会のしつらえ、大きなドイツ国旗がかかっている(ドイツ国旗は全編を通してそこここで使われている)。観客がまだ全て席につききらず客席がまだ明るいうちに客席のドアから舞台に人々が集まり始める。ドアのところでお喋りしているおじいさんがどうして帽子なんか被ってるのかしら?と思ったらマイスタージンガーのひとりだったw。
とにかくみなさんすごいパワーと迫力の演奏&歌唱で驚いた。まずバレンボイムの前奏曲での入魂ぶりが凄まじい!いくら今夜は第二幕までとはいえ、この調子で全力疾走したら彼ももう若くないんだし倒れるんじゃないかと心配になったくらい。その勢いと迫力がオケに伝わるのはもちろん、舞台上にまでみなぎっていてソリストもコーラスもこのままもし第三幕まであったら舞台上とピット内で全員バーンアウトしてしまうようなフルスロットルぶり!今夜は第二幕までだからパワー全開なのかしら..とも思ったけれど、みんなこの絶望的にデッドなアコースティックの中これだけ全力のパフォーマンスで感涙ものだった。
ザックスのコッホ、半年前にここでヨロヨロのアンフォルタスだった時のイメージが蘇ってどうしてもザックスのキャラクターには弱く思える。演出として靴職人としての面は控えめで、68年の洗礼を受けた哲学者風な描かれ方をしているせいもあって、他のマイスタージンガーに与さない個性が演技にも歌唱にも感じられないのはちょっと拍子抜け。でも2日目はグンと良くなり、3-2でヴァルターの歌を導き出していく部分で渋く光り、3-5では押し出しの良いザックスになっていた。彼はミュンヘンのマイスタージンガーでもザックスだが、どうなるかしら…。
ヴァルターのフォークト、バイロイトでハラハラしたのが嘘のようなピタリと決まる歌唱(プロンプターに助けられたところがあったが)。テノール/バッカスの時も思ったが彼はこういうコミックな役作りも巧い。最初飛び入りで歌う部分の荒削り&未熟感、ここではローエングリンで最初から感じらる神様成分のようなものはなく、素直で元気だけれど物を知らない普通の若者そのもの。翌日の歌合戦で披露するためにザックスの書斎で歌を創っていく途中で洗練度を高めつつ新しいドアをひとつひとつ開けていく才能の目覚めの喜びのような感覚。最後の”Morgenlich…”ではスーッとどこまでも伸びるようなラインの美しさにハッとさせられるほどの完成度の高さ、このステップアップを実に自然に歌い分けていた。
初日第二幕終わってのカーテンコールで笑顔がなかったのが気になった。調子悪いとは思えなかったけれど何かあったのかもしれない。
ベックメッサーのウェルバ、彼をここで聴けるとは望外の幸運。あれだけ細かい部分まで芝居をしながら全く音をはずさずプロンプターも見ずに、決して歌い流したりせずきちんと歌い上げるのだから。そして彼の巧さは「わたくし、お役人サマですから」の嫌味ったらしい部分と間抜けで小心な部分を絶妙にブレンドしてベックメッサーになっているところにある。そして後ろや上の方の人は見えないだろうなあと思われるような表情や仕草、舞台上のメインストーリーとは外れたところで(どれだけの観客があそこでベックメッサーを見るだろうか、と思われるようなシーンでさえ)地味に演技をしていて、芝居好きな私を心から楽しませてくれるのだった。しかしあれだ、彼の衣装は細身の彼には大きすぎて気の毒だったわ。
映像だけでもちろん現役時代は観てない往年の名ソリスト達が、もう本当に嬉しそうに楽しそうに演じたり歌ったりしていたのを見て、こちらまで幸せな気持ちになる。観客の中には彼らの現役時代を知っていて懐かしく思った人もいたはず。特にハンス・シュワルツ役のフランツ・マツーラは1924年4月生まれの91歳!杖をついていたけれど矍鑠としているし声もよく通る。彼の頑固親父ぶり(ベックメッサーが歌うのを聞く時の表情と言ったら!)に観客は大喜び。ジークフリート・イェルサレムはよく日焼けした顔に真っ赤なパンツを粋にはきこなすバルタザール・ツォルン、彼が歌うたびに客席は”おぉ!”という雰囲気になる。
マイスタージンガーのテーマの旧態依然としたシステムに新風を吹き込む異なる価値観、旧から新へのトランスミッション、それらの融合と反発、といったものが実際に舞台上のソリスト達が体現しているとくれば、これ以上の演出効果はない。
この効果を高めるものとして、マイスタージンガーはビル上にネオンで自社名が輝く企業のパトロンで、彼らの名前がロゴになったパネルが随所で使われる(役人のベックメッサーの名はない)。服装もシャツを外に出したラフなパンツ姿のザックスを除けば皆シックに装っている。エファは清楚な乙女としては描かれず、背中が開き裾のスリットがぐっと深いセクシーなドレスでヴァルタターを誘惑し煙草も吸う今のお嬢さんである(しかし彼女のクリアな声は清楚な乙女そのもの!)。徒弟達は皆おなじ黒のスーツに男子はマッシュルームカットのような、女子は外側にカールしたボブという割と没個性的な描かれ方をしているが、ここはこうしないと舞台上で視覚的に混乱するだろう。
ここに新しい血として流れ込んでくるヴァルターの白シャツとグレー(黒かな?)のパンツに革ジャンとウェスタンブーツという姿は異質なものとして視線を捕らえる。全く勝手判らずといった具合のヴァルターの演技も巧い。
第一幕の演出はセノグラフィも衣装で社会的カテゴリの違いを表してるところも良く考えられてるなーと思ったが、第二幕はほぼ全般でこじつけっぽいし無理がある。特に舞台を屋上に設定した意味がないし、そのせいで不自然なストーリー進行になる。社名のネオンを使いたいなら他に方法があったはず(ネオンはイメージと割り切るとか、遠景で見せるとか)。靴修理の台をわざわざ持ってこさせて作業するのは不自然。カナビスにジョウロで水をやるザックスって…(ONPのジークフリートみたいだw)。ベックメッサーがわざわざ着替える衣装も唐突すぎるしこの演出の中では意味を失っている。この第二幕をやはり意味不明と言っていたフランス人が何人かいたが(パンを買うときに並んでいて耳に入ってきた)、もしかしたらドイツに住んでいる人だとしっくり理解できるのかしら?!ジャーマンウィングの事故とフォルクスワーゲンの不正(揺らぐことのなかったエンブレムの失墜)、難民受け入れ(多様な価値観の受け入れ)今のドイツに重ねて見ることのできるであろう要素だ。
最後のシーンではパンクのグループ、LGTBのグループ、アナーキストやナショナリストのグループ、サッカーのサポーター(×2)、パーティーゴーアー、修道女にラバンまで、ありとあらゆる人々が舞台上で大混乱を引き起こす。ここはもう演奏も歌もどうだったかは記憶から吹き飛んでしまい、ただただあのカオティックな舞台が思い出されるばかり…。最後は倒れた夜警が上半身を起こして11時を告げて再び倒れ、第二幕終了。
舞台演出で登場人物の内面(キャラクター)からベクトルが出て観客はそれを直に受け取る場合と、時代と場所を設定してその環境からベクトルが出て登場人物と出来事に反射したものを観る場合とでは感じ方がずいぶん違うんじゃないかなと思った。前者は見る側が自分を投影できるので分かりやすいが、後者はその時代や場所を実際に知っているといないのとで大きく差が出るだろう。
ソリスト、コーラス、オケbyバレンボイムの大迫力パフォーマンスに終始圧倒されたのだが、終わって何がいちばん心に残ってるかというとオーケストラ。舞台と時に語りあい、時にサポートし、時に心情や風景を描いてとても表情豊かだし、その音は香りの良い上質の木を思わせる。とりわけ絃楽器は素晴らしく、第二幕第三場、夏至の頃の夕暮れに吹いてくる少し熱を帯びた風を肌に感じるようなあの音、第三幕への前奏曲では優しさ、ノスタルジー、人生の甘やかさや苦み…等々さまざまな思いをページをめくるようにして見せてくれるあの語り口に心がジーンとした(どう少なく感じても涙目になる…)。今シーズンはこの後パリ、ミュンヘンとマイスタージンガーのNP(パリは共同制作なのでザルツブルクですでに公演があったもの)が続くが、一番手がこれだけバーを高くしてしまうと後続はクリアするのが難しいんじゃないでしょうかねえ…。
Inszenierung: Andrea Moses
Bühnenbild: Jan Pappelbaum
Kostüme: Adriana Braga Peretzki
Licht: Olaf Freese
Chor: Martin Wright
Dramaturgie: Thomas Wieck, Jens Schroth
Hans Sachs: Wolfgang Koch
Veit Pogner: Kwangchul Youn
Kunz Vogelgesang: Graham Clark
Konrad Nachtigall: Gyula Orendt
Sixtus Beckmesser: Markus Werba
Fritz Kothner: Jürgen Linn
Balthasar Zorn: Siegfried Jerusalem
Ulrich Eisslinger: Reiner Goldberg
Augustin Moser: Paul O’Neill
Hermann Ortel: Arttu Kataja
Hans Schwarz: Franz Mazura
Hans Foltz: Olaf Bär
Eva: Julia Kleiter
Walther von Stolzing: Klaus Florian Vogt
Magdalene: Anna Lapkovskaja
David: Stephan Rügamer
Ein Nachtwächter: Jan Martinik
今回の席はパーテール6列目の中央をとってあったが、直前に1列目に戻りチケットがあると知ってチケットオフィスに電話して「交換は可能でしょうか?!」と訊ねた。すると「できますけど6列目の方が音がいいですよ、私だったらそのままにします。Believe me.」と言われてそのままにしたのだった。
それで正解だったのです。何回ヴァルターが正面で歌ってくれたことでしょう!もちろんエファではなく私に向かって歌ってくれているのだ思い込みながらポーッと聴かせてもらいましたとも(爆)!
Parkett rechts Reihe 6 18-19
Parkett rechts Reihe 6 18-19